furufur’s blog

日々の書き溜め。所属している団体、組織には一切関係ないよ。

田舎の夜道

18時だというのにもう暗い。

毎年飽きもせずに、まだこんな時間なのにもう真っ暗だねと言ってしまう季節がやってきた。

 

 

 

冬は星が綺麗に見えるからいい季節、だというのにすっかり雲が空を覆ってしまい光を遮ってしまっている。せっかく上を向いて見たというのに、やるせない。

これでは寒いだけじゃないかと思ってしまう。

 

 

お月様の光も届かないぐらいの田舎の暗闇で、少し前に友人と話をしたことを振り返ってみることにした。

 

 

「相手がどう思っているかもわからないのに、よくご飯誘ったり、笑顔で遊びに行ったりできるよねって思ってたんだよ。今はそんなに病んでるわけじゃないけど(笑)」

 

久しぶりにあった同級生は学生時代にあまり学校に来ない人で、5年ぶりぐらいにあったというのにいきなりそんなことを言うひねくれ者だった。そっちから誘っているくせに。

かと言って別に問題のある人間と言われれば常識の範囲内におさまるぐらいだったと思う。

だけど、周りが普通ではいさせてくれなかったのだろう。

大多数の価値観とずれているというだけで、攻撃してもいいという大義名分が生まれてしまう異質な空間だったから、詳しくは語らなかったけれどそこで人付き合いが嫌になったのかもしれない。

 

お酒を久しぶりに飲むと言う彼から色々今の自分に対してお説教のようなことを言われ、何も言えなくなるとフォローのように「まあでも…」みたいな感じで褒めてくるのが面白かった。

頼んだウィスキーのロックの氷を見つめながら、コロコロとグラスを回していると。

「自分に関わっている人たちが、自分のことをどう思っているのかなんてわからないって怖くない?さっきまでバカやって一緒に笑っていたやつが、別のところいったら自分のことを悪く言ってるなんてよくある話じゃん」

だからあの時は狂いそうだったよ、と真剣な顔をして話す彼からは、それでも同情してほしいというような雰囲気は感じなかった。

 

人間関係なんて友人、上司、恋人からの自分に向けられた言動や、周りからの話からでしかわからない。その人が本当の意味でどう思っているのかなんて恐らく一生かかってもわかりあえないだろう。ゲームみたいにパラメーターが見えるわけじゃあないのだ。

 

「こんなこと考えてたってきりがないのはわかってるよ、でもなんか、自分が本当にここにいていいのかわからなくなるじゃん」

 

だけど、だからこそ大切に思う人には言葉や、行動で示してあげないと伝わらないんだと思った。

自分の周りにいてほしいことを伝えないと不安に思ってしまう人もいるし、真実いてほしいならためらうべきではない。伝えることで全てが叶うわけでは、もちろんないんだけど。

この言葉を聞いて、余計にそう思う。

 

 

 

 

 

 

 

神奈川や東京のすぐそばに誰かがいるほどに溢れている都会とは違って、周りに誰もいない夜の田舎は二重の意味で寒くなる。

いまだに曇った空は全然星を見せてくれないし、ガソリンスタンドの明かりしかないけれど、なぜか少しその光をみて暖かくなる。

 

人は1人で生きていけないというのは、生きる意味を見失いがちになるからかもしれない。

暗い道を帰りながら、ベロンベロンになって帰った友達を思い出す。

 

「きっとみんな不安なんだと思う。隣にいる人が本当に自分を認めてくれているのか。だけど、そんな不安に押しつぶされないように誤魔化したり、夜に死にそうになりながらも悶えて耐えてる。めちゃくちゃ押しつぶされそうになるけれど、それでももっと仲良くなりたいとか、つながりを無くしたくないから一歩踏み込もうとするんだよ」と、お酒の力を借りれば今ならそう返せるかもしれない。開口一番にあんなことを言ってくる大事な友人に。

 

 

 

田舎の夜道は明かりがないという意味では怖いし、暗くて寒くて嫌になるけれど、時折風で流れていく雲の隙間から見える星が綺麗なのは、いいと思った。

 

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エモいってどういうことやねん。

みなさんこんにちは。

最近、澤野弘之という作曲家の方にはまっているふるふるです。

 

 

進撃の巨人」や「医龍」のBGMを作っていらっしゃる方なのですが、ドラマやアニメの曲だからといって侮るなかれや。作品にとってメインではなくとも音楽があることによって感情が揺さぶられることもあると痛感させらる曲ばかりです。

澤野さんの曲をBGMにしているだけで自分が主人公になった気持ちで仕事や課題に取りかかることができるのでオススメです…

 

急な話ではありますが、みなさん「エモい」とか「マジ卍」とかって言葉はご存知でしょうか?

10代、20代の方であれば実際に使ったり、聞かれたことはあるかと思うのですが、それ以上の年代になると初めて聞いたという方もいらっしゃるのではないかと思います。

実際、僕もエモいという言い回しは普段よく使うのですが意味はよくわかっていません。

なんとなく「好き」とか「熱中している」みたいな感覚では捉えているのですが、そういった感情を表す広い表現として使っているイメージです。

 

こういう新しい言葉を聞いたり、使ったりするたびにこれって語彙力の低下とかまた言われるのかなあと思ったりもするのですがじゃあそもそも語彙力ってなんなんだよって考えると、単なる知識の総量の話では少し違和感があります。

 

語彙力が高いということは、知識として言葉をたくさんしっているという意味だけではなく、自分や他人の感情や考えを、微妙な意味の違いを持つ数多くの言葉の中から定義することができるかどうかというところまで含めているように思うのです。

 

 

「言葉」は概念を捉えるツールということをどなたかがおっしゃっていましたが、

自分の感情(誰かに対して怒りを覚えたり、好意を感じたりすること)を捉えることも言葉の力であると思います。

感情やアイデアという繊細でとらえどころのない、ともすればふわふわと浮かんで消えてしまうような自分の中にあるものの形を決めて固めてしまう。

れが言葉の持つ役割の1つです。

これをいかにうまく使って仕事を進めていくかという話も別でありますが、それは置いておいて。

「愛している」という言葉1つとっても、親愛、友愛、恋愛、博愛…ということ言葉がいくつもあるように感情は細分化していけばいくほど自分の本当に感じている気持ちに近づきます。

この捉える言葉の総量と、適切な形に固定化する能力が高いということが語彙力が高いというような気がします。

 

人の気持ちを考える、という小学生の標語みたいなことですが、ここをうまく捉えていくことができれば相手との信頼関係を築くことや、先ほど述べたアイデアを形にするという仕事には必要になってくるんじゃないかなあと。

 

 

 

 

 

「エモい」とか「マジ卍」という言葉、ちゃんと理解しようマジ卍

 

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こたつから出ることで得られるものもある。

 

子どもの頃から、新しい人間関係を築くことに対して億劫になる性格でした。

「相手が話しかけてくれたらしゃべろう」

なんて考えていた可愛げのない子どもで、あの頃から少しは大きくなった今ならもったいないと後悔もできるのだけれど当時は「なんとか保っている今の、楽しいと思える生活を壊したくない」という気持ちでいっぱいだったのだろうと思います。

 

自分から動くことで、うまくいっている今の幸せを壊したくなかったし、人間関係を広くすることに価値を感じることもありませんでした。

 

そうやって捻くれながらもなんとか勉強して、大学に入って、ハッピーアースデイ大阪関西ギャザリング2016というイベントに参画してからは、そんな考え方も少し変わりました。

 

同じ場所にいて、仲のいい友達や仲間たちと活動をすることは確かに楽しい。

周りも知っている人ばかりで、受け入れられているという安心感があるし、居心地もいい。

 

だけど、多分それは停滞で。

今まで自分が知らなかった新しいことに出会わないと、自分のことは否定されないし、楽なんだけれどそれ以上きっとどこにも行けなくなってしまう。

 

今いる場所より遠くへ連れて行ってくれるのは、出会った人からもらった知識や経験と、そこで育まれた自分の価値観の積み重ねだと思います。

 

人は、その人だけが持っている経験と知識、価値観があるもの。

 

自分とは違う人と接することで、自分の価値観は変わっていくし、うまく磨かれることで世界への解像度が上がって、ピントも合っていく。

 

新しい人や、環境に自ら関わっていくことは、少なからずストレスに感じるし、知らないものに向かいある怖さもある。

 

でも、すでに居心地がいいといえる場所を見つけているのならばきっと怖がる必要はそこまでなくて、失敗したら戻ってこれる場所があるってことなんだから。

 

知識と経験を蓄えてよりくっきり世界が見えるようになれば、きっと自分が行きたいところも見つかるし、やるべきことも見えてくるのではないかと思います。

 

新しい人やものに向かい続けることが、多分自分を強くしていく方法の1つではないかと。

 

 

信じられることの難しさ

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みなさんこんにちは。

最近「君の名は。」熱が再び盛り上がってきたふるふるです。

神奈川の家から持って帰ってきたんですけどずっと見てます。出かける前に観るとすごい元気になれるし、誰かと出会えそうな気分だけ味わえるのでオススメです。新海監督の設定のここがすごいんだよ!っていう話を親にしていると、普段こちらが何も言わなくてもしゃべりだす母親が話を切り上げようとしてきたので相当に引かれていたと思います。

 

 

 

 

今回は「信頼される仕事の姿勢」をテーマに、自分も短い期間ではありますが、営業として社会人経験をしてきたことと、これまで仕事ができるなーという方々を間近で見ていて感じたことを不信を抱かせてしまう人、信用される人、信頼される人と分かれしまう条件を書いていきたいと思います。

 

不信を抱かせてしまう人

 

とにかく当たり前のことができないとお客様にまずは信用していただけません。

基礎基本ができていないと、お客様が求めているものを提供できないから当然ではあるのですが。初歩的なところでいうと、敬語の使い方、話を聞く姿勢、自分が扱っている商品やサービス、所属している団体への理解が足りていないとなると話を聞いている方はなんだか不安になってしまいます。相手を敬う態度が感られない人に対しては、プライベートでも相手にしたくないでしょうし、自分が何をしているのかもよくわかっていない人の話を聞く気にはなれないですよね。

敬語や姿勢は気にされない方もいますが最低限、失礼にならないような態度を心がけるのは必要かと思います。

 

 

信用される人

 

基礎基本ができて、正確に理解して行動できる人。

先ほどの不信を抱かせてしまう人がしてしまう行動を社会人として求められるレベルでクリアしていれば、お客様が安心して話を交わすことができると判断してくれます。

ここまでできてやっと仕事できるかというところ。

相手からの信用を得ないことには話を聞いてくれさえしてもらえないので、相手が求めているレベルの姿勢を達成することは必須条件だと思います。

 

 

 

信頼される人

 

基礎基本もでき、正確に行動でき、なおかつ相手を思い遣る言動ができる人が、お客様に信じられ、頼られることになるかと思います。

マニュアル通りに正確に、商品やサービスを提供できるようになるのもかなりの努力が必要ですが、さらに相手への気配りを忘れずにしているとお客様に与える印象が段違いです。

以前の仕事をしている時も、先輩社員にお客様から電話があり自分の用事は終わったけど、友人の人が同じように困っているから話を聞いてあげて欲しいとか、単純に相手から求められる仕事だけを果たしているだけではこのようにお客様に頼られることってなかなかないと思うんです。

もちろん自分たちしかしていないサービスや、販売していない商品があれば別なんですけど、大概の業界は競合他社が犇めく中で仕事をしています。

同程度のサービスを享受することは少し手間はかかるかもしれないけれどできる。

レベルがほぼ同じで、人が対応するのであればそこに相手への想いが行動となって真摯に現れる

ところを選びたいと思うのが通常です。

信じて話を聞ける人ではなく、自分から頼ることを選択できるほどに信頼できる人になるためには、青臭いかもしれませんが相手への想いがないと難しいのではないかと思いました。

 

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仕事に関わらず、活動もすべてそうですが、自分と同じで相手の時間も消費させるているということを意識して、相手への敬意と基礎基本を完璧にすると目指すところがまずはしないといけないところだろうなーと思います。

右も左もわからない時はとにかく誠実に相手と向き合い、至らないところはどうにかして補う努力をして相手の時間と、話を聞いてくれる意思に感謝をして無駄にしないように努めないようにする。

今は難しくても、今の最善を尽くして信頼される人を目指して頑張るぞーって感じです。

 

 

まあこっちを人ともみなさずに一方的に罵ったりしてくる人は、同じ人ではないので抵抗しましょう。拳で。

 

 

 

それでは、また。

さようなら。

アイデアの可能性は、誰が決めるのか

「あの課題難しかったよなー、みんなしゃべるのはいいけどアイデアまともなの全然でなかったわ(笑)」

 

11月に入り、少し肌寒さが身にしみて冬を感じ始めたころ。

少し時間を潰そうと、みなとみらいにある蔦屋書店でココアを飲みながら本を読んでいると、就活生だろうか。いかにも慣れないスーツを着こなしている感覚の男女5人が談笑している姿がふと目に止まった。彼らは僕の近くの席に座ると、各々自分が行ったインターンはどうだったとか、イケメンや可愛い子が多かったとか情報交換を始めた。自分にもあんな時期があったなと、少し過去のことを思い出しながら目の前の本の世界に戻る。ただ、

1人の男の子が笑いながら話した、その言葉にまたも思わず顔をあげてしまった。

本の中に再び潜ることを忘れた僕の頭は、やたらとアイデアワークを繰り返していた就職活動のことを思い返していた。

 

 

「〇〇の課題を解決するアイデアを考えてください」

面接官からワークのテーマを発表されると、4人1組に分けられたグループが我先にと動き出す。

タイムキーパーは私が、議事録は僕が書きます、進行役はじゃあ私がするね。

各々の役割が決まっていけば議論が進み、テーマに沿ったアイデアを出し合う。

定められた短い時間内にいかに多くのアイデアを出して、選別し、発表の体裁を整えるのか。

戦場のように方々から声があがり、鬼気迫る表情を隠しながらも笑顔で人の話を聞いて話を膨らませていく。その中に自分がいることが当たり前だと当時は思っていたし、ある程度の役割はこなしていたのだから今では違和感しかない。

それでも一貫して自身の役割は聞き役であり、整理することと割り切ってアイデアを出すことからは一線を引いていたのだけれど。

 

 

昔からアイデアを出すということが苦手だった。

そういうのはいつも、人気者の役割というかセンスのある子の役割で、自分の意見はどちらかといえば面白みのない現実的なものしか思い浮かばない。

 

 

大学生になってボランティア活動をしたり、インターンを行う中でアイデアを求められても今ひとつだった。

よく言われているのはアイデアというのは、既存の組み合わせだというもの。

気取った言い方をすれば知識というピースをあつめて、経験という感覚によって一見新しい絵をつくるようなものだと思う。

今だと少しはその意味が理解できるけれど、当時は面白いものを考えないといけない、突発したものはないかと悩んで思考が停止していた。自分の中にある知識だけで思いつくはずもないのに、特に調べもせず、相談もせずにいつか思いつくのではないかと、誰かがなんとかしてくれるのではないかと甘えていた。

案の定、その時に提出したなけなしの思いつきは採用されることなく大目玉をくらったのだけれど。

 

失敗から落ち込んでアイデアを出すことに臆病になりはしなかったけれど、アイデア恐怖症はなかなか治らなかった。

 

 

 

 時が流れて一応就職先も無事に決まって就活が終わり、自分の研究もある程度ゴールが見えてきたころ。

 お世話になったある人と少しだけお話をする機会があった。飲みに行ったわけではないし、お互いシラフだったが不思議と会話が弾んだ。

自分が興味のある広報や広告の話をすると、当たり前のように最近のCMについてや、好きな広告ってなにかあるかという話を広げてくれる。

就職活動を通して求められている回答をしなければならないという思考回路に陥っていた当時の僕は、自分の好きなことを話すことにかなり飢えていたのだろう。

「これについてどう思う?自分やったらどうするかね?」

自然と話しを振られたことに対して自分なりの答えを返す。今の自分では実現不可能なことを偉そうに意見として述べたのだが、話してすぐに後悔した。

自分や今の組織ではできないこと、妄想を話してしまったことがすごく恥ずかしかった。すぐに「まあそんなことできないですけどね(笑)」と取り消そうと言葉を紡ぐも、返ってきたのは「いやできるんちゃう」という当たり前のことに対して反応したような、なんの嫌味もない言葉だった。意外そうにしている僕の顔を見てどうしんや?と聞いてくれたその人に、意見というかアイデアを出すのが苦手で、妄想みたいなことを話してしまったことが恥ずかしというか、ということをポツポツと話した。「なるほどな。アホやなお前(笑)」と一笑されてしまう。

自分としては結構な悩みだったのだがと思って、少し苦い顔をしていると苦笑しながらわからんでもないけどと続けてくれた。「君の場合は、実現できるかにこだわりすぎや。そのくせ結果は求めるもんやから突拍子もないことを思いつきたいから考えるけど、こだわりがそこにあるから抜け出されへんのちゃうか」知識を求めないことは論外やけど。と、優しくも厳しい話になんだか拍子抜けしたような気が抜けたような感覚を覚えている。

「月並みかもしれないけど、まずはできるかできないかよりはこれやったらもっと便利になるんじゃないか、誰かの幸せになるんじゃないかって視点で考えてみたらいいと思う。そこからそれを実現するためには何が必要なのかを考えて行けばいいいんちゃうかな」

「でも、それだとただの妄想や夢物語で終わってしまってビジネスじゃ通用しないんじゃないですか?」自分の悩んでいたことが少しずつ解れていくことを感じながらも、これまでの考えが間違っていたのではないかと言われているようで反感を覚えた。年下の僕が生意気な態度で噛み付くことにも嫌な顔をせずその人は、一言。

 

「じゃあ、それって誰が妄想や夢物語にしたんや?」

 

「自分の可能なことだけでアイデアを語るな、考えるな。もっと自由で楽しくていいんや。思いついたことを可能にするのはお前だけじゃないやろ。お前の狭い可動域でおもろい企画なんて思いつかんわ。HPを作るWebデザイナー、家を作る大工のおっちゃん、難しいことを簡単に教えてくれる学者さん。世の中にはたくさんのプロがおってそれぞれが協力してできることがやまほどあるんや。プロの可能性を舐めたらあかんよ」

そら突拍子もないアイデアを出したら怒られるかもしらんけどな、最後に笑いながらオチをつけて照れを隠すようにタバコに火をつけて紫煙を吹いた。少し,

考えるようにして、たばこの火を灰皿に落とす。

 

「でも、誰かに相談してこんなことをできるんじゃないかって話をしたら、もっとこうしたらいいとか、これは今やと難しいけどこんなこともできるんじゃないかって助言をくれる人もおるよ。そいつが本気で面白そうやからやってみたいっていう顔をしていたら自然と助けてくれる。っていうか俺もそれやりたいなって思いが自然と湧いてくるもんちゃうかな。そうやって周りを巻き込んでいったら自然と、今できることの最高なアイデアの実現可能性なんて高まっていくもんやと俺は思う。」

だから、これからも色んなことを考えて、色んな人と出会って、おもろいもんをたくさん生み出せるようになりや。タバコをふかしておどけるように笑うあの人の目が、しっかりと僕を見ていたことを今でも忘れない。

 

 

あれから自分なりに知識を少しは増やして、こんなことあったら面白いなということを休日には自然と考えるようになった。仕事として実現するにはまだチャレンジできていないけれど。

社会を変えるとか、生活を支える思いつきというのは知識や経験に裏付けされているのはもちろんだけれど、そこには実現できるかどうかよりも何かしらの想いが先にあったのではないかと思う。1人だけでない、周りの人たちがそこに賛同して磨いて、形を整えていったからこそできたものが今の素晴らしいとされるアイデアなのではないかと思う。

 

 次のインターンシップの話をしている彼らの姿を横目に見ながら、あんなことに悩んでいた自分と比べるとそうやって色々な話ができているようで羨ましい、ついでに年を交換してもう一度大学生に戻りたいと卒業して半年ほどしか経ってないのに思ってしまう。

待ち合わせの時間にも少し遅れそうだったので、勢いで飲み干そうとしたがほとんどすでに残っていなかったココアに物足りなさを感じながら、スタバを後にする。

カップルで溢れかえっていた観覧車の前を通りながら、全員別れろと気持ちを強くもって帰る。

 

 

 

 

 アイデアを考えることは難しいし、形にすることは言わずもがな。

ただ、実現できるのかどうかで考えている限りは中々先へは進めない。実現可能性を測っているのは自分のまだまだ足りていない物差しにしか過ぎないと思うから。

あなたの思いつきが、社会をワクワクさせるものになるかもしれない。

僕のように奥手な人で、考えるのも苦手だし、人に相談するのも苦手な人にこそ一度チャレンジして欲しいので書きました。

一回だけでいいから本気で実現させようと思ってやってみると、案外うまくいくかもしれないし、だめかもしれない。

どうしてもダメだと思ったらやめればいいし。アイデアを思いつくことだけが至高ではないしね。

 

 

どうにも終わりが締まらない。

それでは、寒さに気をつけて。

 

 

めちゃくちゃどうでもいいけど、

この間豚キムチチーズ焼うどんを食べたらめちゃくちゃ美味しかったです。

 

さようなら。

 

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チームプレイング

みなさんこんにちは。

最近スタバに入り浸っているふるふるです。

家にネット環境が無いって現代っ子からすると発狂する環境だと思うんですけどいかがいでしょう。

 

 発狂寸前の精神を保つために最近は週3ぐらいでスタバにいってWi-Fiを利用しているのですが、ほんとうに1日いるのでパソコンを開きながらさも仕事をしているかのように見せながら「いやほんと長くいてごめん。でも仕事だから」雰囲気を醸し出して許してもらっています。ごめんなさい。

 

 最近はほんとに自由で、よしなしごとを徒然なるままに考えたり、行きたかったところへ行ったりと悠々自適に生活をしているのですが、これまでの生活も少し振り返っていました。

 僕は大学時代、特にサークルやバイトもほとんどやっていなかったので暇すぎて色んな団体さんでお世話になったり、一緒に活動をしていました。

 大学を卒業してからは社会人として少しの間ですが会社員として働いたりもしつつ。

今これまでのことを少し振り返っていると、それぞれで動きやすかったりなんだか窮屈だなーと思う場所があったんです。もちろんその逆も。

もちろん分野も違えば、構成メンバーの人間関係も違うのでそういった要素もあるのだろうなとは思いつつ根本的な違いってなにかあるのでは?と考えていました。

そんな中で特にこの要素で組織のパフォーマンスは変わってくるなと感じた要素の3つを今回は書いてみます。

 

 

目的を共有し、同じ方向を向いているのか

 団体や組織はなにかしら目的があり結成され活動をされています。

組織に所属して活動するということは、組織の目指すべきところに共感や理解を示しているということになりますが個人個人の認識に多少のズレがあることもしばしば。

例えば、「地域のしあわせな暮らしをつくる」という目的を掲げている団体があったとしましょう。団体としてのミッションは「しあわせ=人とのつながり。商店街の閉鎖や過疎化によるコミュニティの減少に対して対策をうつ」ということを掲げています。

しかし最近団体に所属したAさんは「しあわせ=経済的な豊かさ。商店街の閉鎖などからくる雇用の損失が地域経済を衰退させている。地域を賑わせる観光資源をデザインすれば観光客が地域にお金を落としてくれて雇用が促進されのではないか」と考えているので、団体の活動とぶつかりがちになってしまっています。

 ここまでの認識の相違はなかなかありませんが、曖昧な表現をコンセプトにしているところは結構メンバーごとに話を聞いてみると全然違う捉え方をしているところがあります。

この話で言えば「しあわせ」という表現が使われていますがl、団体が捉えている「しあわせ」を所属しているメンバーで共有されていないと「これはうちっぽくないよね」とか「うちのコンセプトの地域のしあわせには当てはまらないんじゃない?」という創設メンバーしか理解しておらず、しかも感覚的にしか団体にも浸透していないという事態になってしまい活動へ参加しているという意識がなくなってしまいます。

こういうことやったらいいんじゃないですか!と思って企画をしても、なんか違うんだよねとか言われたらテンションだだ下がりですし。

みんなが完璧に同じ方向を向いて、同じ道を歩むのは難しいかもしれないけれど、最終的に目指す場所へたどり着けるようにするためにも目的地の設定と共有をしておかないとどこにいけばいいのかわからなくなりますから。

意見の相違だったり、人や活動に惹かれて入ったけど思っていたのと違う…

何を目的としてやっているのか誰もがバラバラにやっているから何をしていればいいのかわからないといったことを無くすためにも目的、コンセプトの共有を怠慢にしてしまうのはよろしくありません。

 

雰囲気

 雰囲気は一番その組織らしさが出る部分でもありますし、ストレスの軽減や、モチベーションを保つためにも重要な要素です。

とはいっても各団体ごとの人間関係や所属している人の性格によって変わってくるものですから一概にこういう雰囲気にすべきだなんてことはわかりません。アットホームな職場とはよく言いますが、じゃあもうずっとYouTube見ていて許されるのかと言われるとそうじゃない…ところが多いと思いますし、言葉でこういうのがいいんだというのは簡単に述べることができますがそれも組織の構成によって違ってくるでしょう。

 理想の雰囲気に近づけるために、気をつけたいのが自分の気持ちが負のときに周りにそれをばら撒くこと。かれぴっぴや友達と喧嘩をしたり、調子が悪い時も往往にしてありますが不用意にばらまくことは周りにストレスを与えてしまいます。

人間関係の基本かもしれませんが、自分の気持ちを周りに押し付けてしまわない。

特に管理する側にたつ人は、自分の雰囲気一つで周りの活動事態を萎縮してしまうことにもつながるのでストレスをある程度自分の中で消化してあげる必要があります。

上司がストレス溜まっているのありありと感じていると、聞きたいことがあってもこれ聞いたら殴られるんじゃないかと恐怖のあまり仕事にならないし、でも聞かないといけないから結局聞くとめちゃいつも以上に怒られるということがかなりありますよね。僕はめちゃくちゃ怒られました。理不尽。

活動がしやすい環境をつくるためには、過度なストレスがかからない緊張感とゆったりとした言動ができる雰囲気を管理していくようにしたほうがいいかもしれません。

 

 

 

次、どうする?

活動をしている中で意識していきたいのは、一度限りのプロジェクトや組織でない限り次に担当する人たちがより先に進むためにどうしたらいいのかを考えること。

次の人がやるためにはここをわかりやすく説明できる資料が必要だなとか、これ自分が次やるとしたらもっとこうしたほうがよかったな、などなど。

昨日より明日。明日より明後日。

せっかく自分たちが切り開いて来た道が、時間が経って草木が生えてまた険しい道に戻ってしまわないように。

次にこの道を進む人たちが切り開いたところまでは楽にいけるように制度や道筋を整えてあげることで、もっと先に進むことができる。

今回は僕たちここまで道をつくったから、これからはもっと遠いところまでたどり着いてなという、次回へ向かう人たちへバトンをつないでいくことも、目の前のことに一生懸命になることと同じぐらい大事なこと。

単純に次にどうするのかという思考を身につけておけば、終わったことをそのままにせずじゃあどうしたらよかったのかを考える習慣になりますから自分の能力を高めることにもつながりますし。

 

 

 

長々と僕が思う団体・組織など集団で活動するときに結構ないがしろにしがちだと思う要素を書いてみました。目の前のことに一生懸命になるあまり、他のことが見えていないということはよくあることで素晴らしくはあるのですがそれだけではより良い成果を出すことってできないと思います。チームで動くから素晴らしいことができるのではなく、素晴らしいチームの活動の結果が社会で求められているのではないかと。

形だけじゃなく気持ちでも1つになったチームが成し遂げたことに感動することってスポーツ中継を見ているとよく思うんですけど、社会活動でもそれができると思います。

感動を生み出せるほどの仕事や、場所をつくってみたいなと思うこのごろ。

 

 

それではさようなら。

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全然関係無いけど、お仕事ください。

じゃあね!

未来を描く、歩く時に思いたいこと。

みなさんこんにちは。
肌寒い季節になりつつある気候ですね。外に出て行く時にTシャツ一枚ではさすがに寒いし、かといってアウターは後で暑くなるかもしれないし…と服装でお悩みの方も多いかと思います。
おおいに悩んでください。


さて、先日雨の中奈良市にある藝育カフェSANKAKUへと、
講演会とは思えないように痛快で感動してまうような方々のお話を伺って来ました。
それがこちら↓↓

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「魔法をかける編集」という本を出版された藤本智士さんという方のトークイベント。


有限会社Re:Sの代表であり、秋田県で「のんびり」というフリーマガジンの編集長を経験、震災支援のため俳優の佐藤健さんとの熊本の旅を編集・執筆した「るろうにほん 熊本へ」など数多くのローカルでの取り組みを編集者として手がけられている藤本さん。

 

これまで行かれた地域の美味しいものからなんじゃこれというものや、ご自身の事例を踏まえつつ編集をしてきたうえで考えておられること、大事にしないといけないことを楽しくお話ししてくださいました。
棒寒天の生産がトップである長野県に訪れた時に見た、田んぼの上で日を浴びて光る半凍りにされた寒天たちと周りの景色が美しすぎたとか。

仕事をして来た中でのお話では、ほんとうに大丈夫こんなこと話して?裏側すぎないこの話?仕事中そんなこと思ってたんかい。というあれやこれやも書いていきたいのですが、あの場所にお金を払って参加された人だけの特権ということで詳細は省きます。


全国でまだトークイベントされるということですし、呼んでくれればたぶん行きますよ!(笑)と仰っていたのでどうしても気になる方はぜひそちらで。もう一回同じ話を聞きたいほど面白かったのでおすすめです。


イベントの詳細な内容は省きますが、僕がお話を伺っていて本筋とはずれるかもしれないけれど大事にしたいなと感じたお話を3つご紹介します。
「編集」ということだけではなく、すべての仕事や活動で考えられるべきことだなと思うのでみなさんもご自身の経験と照らし合わせてお読みください。

 

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1.本質があることをしているのか?


 イベントや、キャンペーンなども手がけて藤本さんですが、そこに一貫している考え方は「本質」を捉えているのか、目指している未来にたどり着けるものなのかということ。
認知度とか、バズとか数字だけを気にしているものとか、一過性のニュースに取り上げてもらうだけが目的の取り組みに未来はないとのこと。その場その場で確かに話題になるものはできて、満足するかもしれないけれど5年後、10年後を見た時にあんなのありましたねじゃ意味がない。
今は少しずつの進歩しかないかもしれないけれど、描いた未来を年が経つにつれて実現できるようになっていくのかを考えてやっていかなれければいけない。
しかも、描いた未来っていうものは地域の人たちが本当の意味で目指しているものなのか。
こうなったらいいんじゃないかって適当に設定した未来で、その場しのぎキャンペーンでは意味がないんだ。

 


2.ヴィジョンを持つことの必要性?


「最近自分に明確なヴィジョンがないっていうお悩み相談みたいなこと結構多いんですけど、こういう場でもね」それに対しては僕がいつも考えていることを言うんですけどと、少し割らないながら
明確なヴィジョンなんてなくてもええやん。それぞれで役割があるし。そんなみんなヴィジョンもってやってたら世の中わやくちゃになってまうし(笑)一部の明確なものを持っている人たちに共感して支える人たちもいなかったらなにもできないでしょ。勇者でも魔法使いとか仲間がいないと魔王なんて倒せないし」と。


このお話を聞いた時に僕はなんだか頭が軽くなったような気分を覚えました。


今までの学生生活や就職活動の中で、自分がこうしたい!っていうものを持ちなさいっていう価値観を育まれてきた中で、他人に主体を任せてもいいのだという考え方はすごく新鮮。
生き方を他人に任せるというか、考えなしになってもいいということでは決してないのだろうけれど。時代の流れとか、身を置く環境の価値観に無理やり自分をもっていくこともないし、もっと自由になにをしていくのかを考えるのがよっぽど建設的だなと。

 

 


3.お互いを下に見るのではなく、尊敬し合うということ。


 自分たちはこんなことができるのに、これだけやっているのにという考え方をもって、他と関わっていると自然と協力している人たちを見下したり、攻撃的に言葉を交わしがちになってしまう。

自分たちと同じことを求めるのではなく、その人たちが専門としていること、自分たちにはできないことを全力でしてくれているのならそれで十分で、自分たちの領域で足りていないことは自分たちがもっとやっていかなければいけないのだという自覚をもつことが大事。
知らずしらずのうちに見下しているのだけど、自分たちより上のことができるだろうと相手に委ねていてはいいものはできない。
協力しあえる関係をつくるためにお互いの領域を自覚し、全力でやってくれることに対してリスペクトすること。難しければ外の人に入ってもらってバランスをとってやっていくほうがいいのではと。

チームでやる以上全部同じ方向に力を持っていくよりはバランスよくお互いの力を出していきつつ、結果を出していくようにしたほうが最終的にいいものができると思いました。

 

 

今回の藤本さんのお話を聞いていて、これまでは「編集」というかデザインとか、広告とかって課題解決の手段っていう側面ばっかり目についていたんです。

日本の少子高齢化とか、過疎化とかを解決するために動画を作ったり、キャンペーンをしたりと。

 

でもお話を聞いていったり、著作である本の内容を思い返していると考え方の転換を図れたのが課題解決というよりは、ヴィジョンの達成のための手段という考え方がしっくりとくるなということ。
課題って主体によって変わってくるものだと思うんです。過疎化も行政なのか、市民なのか見方によって課題と言われているものが実はそうでないかもしれない。
それよりかは、こうしていきたいっていうものを共有して擦り合わせてお互いのことをリスペクトし合いながら動いっていったほうが本当の意味でよりよい地域づくりとか、国の成長が見込めるのではって思った次第。

 

 

文字だけであの自分が感じ取っていた熱量は表現しきれないし、自分の感覚も混ぜて書いているので伝えきることはできないのですが本当に楽しかった。

 

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すっごい宣伝みたいになるけれど、「魔法の編集」は僕も書いましたが難解な実用書でもないし、かといって中身がないというわけでもない払ったお金の価値は絶対にある本なのでおすすめです。
気になった方はぜひ買って読んでみてね!


おもろいことやっている人の話はやっぱり聞いててストレスフリーだ。