furufur’s blog

日々の書き溜め。所属している団体、組織には一切関係ないよ。

信じられることの難しさ

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みなさんこんにちは。

最近「君の名は。」熱が再び盛り上がってきたふるふるです。

神奈川の家から持って帰ってきたんですけどずっと見てます。出かける前に観るとすごい元気になれるし、誰かと出会えそうな気分だけ味わえるのでオススメです。新海監督の設定のここがすごいんだよ!っていう話を親にしていると、普段こちらが何も言わなくてもしゃべりだす母親が話を切り上げようとしてきたので相当に引かれていたと思います。

 

 

 

 

今回は「信頼される仕事の姿勢」をテーマに、自分も短い期間ではありますが、営業として社会人経験をしてきたことと、これまで仕事ができるなーという方々を間近で見ていて感じたことを不信を抱かせてしまう人、信用される人、信頼される人と分かれしまう条件を書いていきたいと思います。

 

不信を抱かせてしまう人

 

とにかく当たり前のことができないとお客様にまずは信用していただけません。

基礎基本ができていないと、お客様が求めているものを提供できないから当然ではあるのですが。初歩的なところでいうと、敬語の使い方、話を聞く姿勢、自分が扱っている商品やサービス、所属している団体への理解が足りていないとなると話を聞いている方はなんだか不安になってしまいます。相手を敬う態度が感られない人に対しては、プライベートでも相手にしたくないでしょうし、自分が何をしているのかもよくわかっていない人の話を聞く気にはなれないですよね。

敬語や姿勢は気にされない方もいますが最低限、失礼にならないような態度を心がけるのは必要かと思います。

 

 

信用される人

 

基礎基本ができて、正確に理解して行動できる人。

先ほどの不信を抱かせてしまう人がしてしまう行動を社会人として求められるレベルでクリアしていれば、お客様が安心して話を交わすことができると判断してくれます。

ここまでできてやっと仕事できるかというところ。

相手からの信用を得ないことには話を聞いてくれさえしてもらえないので、相手が求めているレベルの姿勢を達成することは必須条件だと思います。

 

 

 

信頼される人

 

基礎基本もでき、正確に行動でき、なおかつ相手を思い遣る言動ができる人が、お客様に信じられ、頼られることになるかと思います。

マニュアル通りに正確に、商品やサービスを提供できるようになるのもかなりの努力が必要ですが、さらに相手への気配りを忘れずにしているとお客様に与える印象が段違いです。

以前の仕事をしている時も、先輩社員にお客様から電話があり自分の用事は終わったけど、友人の人が同じように困っているから話を聞いてあげて欲しいとか、単純に相手から求められる仕事だけを果たしているだけではこのようにお客様に頼られることってなかなかないと思うんです。

もちろん自分たちしかしていないサービスや、販売していない商品があれば別なんですけど、大概の業界は競合他社が犇めく中で仕事をしています。

同程度のサービスを享受することは少し手間はかかるかもしれないけれどできる。

レベルがほぼ同じで、人が対応するのであればそこに相手への想いが行動となって真摯に現れる

ところを選びたいと思うのが通常です。

信じて話を聞ける人ではなく、自分から頼ることを選択できるほどに信頼できる人になるためには、青臭いかもしれませんが相手への想いがないと難しいのではないかと思いました。

 

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仕事に関わらず、活動もすべてそうですが、自分と同じで相手の時間も消費させるているということを意識して、相手への敬意と基礎基本を完璧にすると目指すところがまずはしないといけないところだろうなーと思います。

右も左もわからない時はとにかく誠実に相手と向き合い、至らないところはどうにかして補う努力をして相手の時間と、話を聞いてくれる意思に感謝をして無駄にしないように努めないようにする。

今は難しくても、今の最善を尽くして信頼される人を目指して頑張るぞーって感じです。

 

 

まあこっちを人ともみなさずに一方的に罵ったりしてくる人は、同じ人ではないので抵抗しましょう。拳で。

 

 

 

それでは、また。

さようなら。

アイデアの可能性は、誰が決めるのか

「あの課題難しかったよなー、みんなしゃべるのはいいけどアイデアまともなの全然でなかったわ(笑)」

 

11月に入り、少し肌寒さが身にしみて冬を感じ始めたころ。

少し時間を潰そうと、みなとみらいにある蔦屋書店でココアを飲みながら本を読んでいると、就活生だろうか。いかにも慣れないスーツを着こなしている感覚の男女5人が談笑している姿がふと目に止まった。彼らは僕の近くの席に座ると、各々自分が行ったインターンはどうだったとか、イケメンや可愛い子が多かったとか情報交換を始めた。自分にもあんな時期があったなと、少し過去のことを思い出しながら目の前の本の世界に戻る。ただ、

1人の男の子が笑いながら話した、その言葉にまたも思わず顔をあげてしまった。

本の中に再び潜ることを忘れた僕の頭は、やたらとアイデアワークを繰り返していた就職活動のことを思い返していた。

 

 

「〇〇の課題を解決するアイデアを考えてください」

面接官からワークのテーマを発表されると、4人1組に分けられたグループが我先にと動き出す。

タイムキーパーは私が、議事録は僕が書きます、進行役はじゃあ私がするね。

各々の役割が決まっていけば議論が進み、テーマに沿ったアイデアを出し合う。

定められた短い時間内にいかに多くのアイデアを出して、選別し、発表の体裁を整えるのか。

戦場のように方々から声があがり、鬼気迫る表情を隠しながらも笑顔で人の話を聞いて話を膨らませていく。その中に自分がいることが当たり前だと当時は思っていたし、ある程度の役割はこなしていたのだから今では違和感しかない。

それでも一貫して自身の役割は聞き役であり、整理することと割り切ってアイデアを出すことからは一線を引いていたのだけれど。

 

 

昔からアイデアを出すということが苦手だった。

そういうのはいつも、人気者の役割というかセンスのある子の役割で、自分の意見はどちらかといえば面白みのない現実的なものしか思い浮かばない。

 

 

大学生になってボランティア活動をしたり、インターンを行う中でアイデアを求められても今ひとつだった。

よく言われているのはアイデアというのは、既存の組み合わせだというもの。

気取った言い方をすれば知識というピースをあつめて、経験という感覚によって一見新しい絵をつくるようなものだと思う。

今だと少しはその意味が理解できるけれど、当時は面白いものを考えないといけない、突発したものはないかと悩んで思考が停止していた。自分の中にある知識だけで思いつくはずもないのに、特に調べもせず、相談もせずにいつか思いつくのではないかと、誰かがなんとかしてくれるのではないかと甘えていた。

案の定、その時に提出したなけなしの思いつきは採用されることなく大目玉をくらったのだけれど。

 

失敗から落ち込んでアイデアを出すことに臆病になりはしなかったけれど、アイデア恐怖症はなかなか治らなかった。

 

 

 

 時が流れて一応就職先も無事に決まって就活が終わり、自分の研究もある程度ゴールが見えてきたころ。

 お世話になったある人と少しだけお話をする機会があった。飲みに行ったわけではないし、お互いシラフだったが不思議と会話が弾んだ。

自分が興味のある広報や広告の話をすると、当たり前のように最近のCMについてや、好きな広告ってなにかあるかという話を広げてくれる。

就職活動を通して求められている回答をしなければならないという思考回路に陥っていた当時の僕は、自分の好きなことを話すことにかなり飢えていたのだろう。

「これについてどう思う?自分やったらどうするかね?」

自然と話しを振られたことに対して自分なりの答えを返す。今の自分では実現不可能なことを偉そうに意見として述べたのだが、話してすぐに後悔した。

自分や今の組織ではできないこと、妄想を話してしまったことがすごく恥ずかしかった。すぐに「まあそんなことできないですけどね(笑)」と取り消そうと言葉を紡ぐも、返ってきたのは「いやできるんちゃう」という当たり前のことに対して反応したような、なんの嫌味もない言葉だった。意外そうにしている僕の顔を見てどうしんや?と聞いてくれたその人に、意見というかアイデアを出すのが苦手で、妄想みたいなことを話してしまったことが恥ずかしというか、ということをポツポツと話した。「なるほどな。アホやなお前(笑)」と一笑されてしまう。

自分としては結構な悩みだったのだがと思って、少し苦い顔をしていると苦笑しながらわからんでもないけどと続けてくれた。「君の場合は、実現できるかにこだわりすぎや。そのくせ結果は求めるもんやから突拍子もないことを思いつきたいから考えるけど、こだわりがそこにあるから抜け出されへんのちゃうか」知識を求めないことは論外やけど。と、優しくも厳しい話になんだか拍子抜けしたような気が抜けたような感覚を覚えている。

「月並みかもしれないけど、まずはできるかできないかよりはこれやったらもっと便利になるんじゃないか、誰かの幸せになるんじゃないかって視点で考えてみたらいいと思う。そこからそれを実現するためには何が必要なのかを考えて行けばいいいんちゃうかな」

「でも、それだとただの妄想や夢物語で終わってしまってビジネスじゃ通用しないんじゃないですか?」自分の悩んでいたことが少しずつ解れていくことを感じながらも、これまでの考えが間違っていたのではないかと言われているようで反感を覚えた。年下の僕が生意気な態度で噛み付くことにも嫌な顔をせずその人は、一言。

 

「じゃあ、それって誰が妄想や夢物語にしたんや?」

 

「自分の可能なことだけでアイデアを語るな、考えるな。もっと自由で楽しくていいんや。思いついたことを可能にするのはお前だけじゃないやろ。お前の狭い可動域でおもろい企画なんて思いつかんわ。HPを作るWebデザイナー、家を作る大工のおっちゃん、難しいことを簡単に教えてくれる学者さん。世の中にはたくさんのプロがおってそれぞれが協力してできることがやまほどあるんや。プロの可能性を舐めたらあかんよ」

そら突拍子もないアイデアを出したら怒られるかもしらんけどな、最後に笑いながらオチをつけて照れを隠すようにタバコに火をつけて紫煙を吹いた。少し,

考えるようにして、たばこの火を灰皿に落とす。

 

「でも、誰かに相談してこんなことをできるんじゃないかって話をしたら、もっとこうしたらいいとか、これは今やと難しいけどこんなこともできるんじゃないかって助言をくれる人もおるよ。そいつが本気で面白そうやからやってみたいっていう顔をしていたら自然と助けてくれる。っていうか俺もそれやりたいなって思いが自然と湧いてくるもんちゃうかな。そうやって周りを巻き込んでいったら自然と、今できることの最高なアイデアの実現可能性なんて高まっていくもんやと俺は思う。」

だから、これからも色んなことを考えて、色んな人と出会って、おもろいもんをたくさん生み出せるようになりや。タバコをふかしておどけるように笑うあの人の目が、しっかりと僕を見ていたことを今でも忘れない。

 

 

あれから自分なりに知識を少しは増やして、こんなことあったら面白いなということを休日には自然と考えるようになった。仕事として実現するにはまだチャレンジできていないけれど。

社会を変えるとか、生活を支える思いつきというのは知識や経験に裏付けされているのはもちろんだけれど、そこには実現できるかどうかよりも何かしらの想いが先にあったのではないかと思う。1人だけでない、周りの人たちがそこに賛同して磨いて、形を整えていったからこそできたものが今の素晴らしいとされるアイデアなのではないかと思う。

 

 次のインターンシップの話をしている彼らの姿を横目に見ながら、あんなことに悩んでいた自分と比べるとそうやって色々な話ができているようで羨ましい、ついでに年を交換してもう一度大学生に戻りたいと卒業して半年ほどしか経ってないのに思ってしまう。

待ち合わせの時間にも少し遅れそうだったので、勢いで飲み干そうとしたがほとんどすでに残っていなかったココアに物足りなさを感じながら、スタバを後にする。

カップルで溢れかえっていた観覧車の前を通りながら、全員別れろと気持ちを強くもって帰る。

 

 

 

 

 アイデアを考えることは難しいし、形にすることは言わずもがな。

ただ、実現できるのかどうかで考えている限りは中々先へは進めない。実現可能性を測っているのは自分のまだまだ足りていない物差しにしか過ぎないと思うから。

あなたの思いつきが、社会をワクワクさせるものになるかもしれない。

僕のように奥手な人で、考えるのも苦手だし、人に相談するのも苦手な人にこそ一度チャレンジして欲しいので書きました。

一回だけでいいから本気で実現させようと思ってやってみると、案外うまくいくかもしれないし、だめかもしれない。

どうしてもダメだと思ったらやめればいいし。アイデアを思いつくことだけが至高ではないしね。

 

 

どうにも終わりが締まらない。

それでは、寒さに気をつけて。

 

 

めちゃくちゃどうでもいいけど、

この間豚キムチチーズ焼うどんを食べたらめちゃくちゃ美味しかったです。

 

さようなら。

 

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チームプレイング

みなさんこんにちは。

最近スタバに入り浸っているふるふるです。

家にネット環境が無いって現代っ子からすると発狂する環境だと思うんですけどいかがいでしょう。

 

 発狂寸前の精神を保つために最近は週3ぐらいでスタバにいってWi-Fiを利用しているのですが、ほんとうに1日いるのでパソコンを開きながらさも仕事をしているかのように見せながら「いやほんと長くいてごめん。でも仕事だから」雰囲気を醸し出して許してもらっています。ごめんなさい。

 

 最近はほんとに自由で、よしなしごとを徒然なるままに考えたり、行きたかったところへ行ったりと悠々自適に生活をしているのですが、これまでの生活も少し振り返っていました。

 僕は大学時代、特にサークルやバイトもほとんどやっていなかったので暇すぎて色んな団体さんでお世話になったり、一緒に活動をしていました。

 大学を卒業してからは社会人として少しの間ですが会社員として働いたりもしつつ。

今これまでのことを少し振り返っていると、それぞれで動きやすかったりなんだか窮屈だなーと思う場所があったんです。もちろんその逆も。

もちろん分野も違えば、構成メンバーの人間関係も違うのでそういった要素もあるのだろうなとは思いつつ根本的な違いってなにかあるのでは?と考えていました。

そんな中で特にこの要素で組織のパフォーマンスは変わってくるなと感じた要素の3つを今回は書いてみます。

 

 

目的を共有し、同じ方向を向いているのか

 団体や組織はなにかしら目的があり結成され活動をされています。

組織に所属して活動するということは、組織の目指すべきところに共感や理解を示しているということになりますが個人個人の認識に多少のズレがあることもしばしば。

例えば、「地域のしあわせな暮らしをつくる」という目的を掲げている団体があったとしましょう。団体としてのミッションは「しあわせ=人とのつながり。商店街の閉鎖や過疎化によるコミュニティの減少に対して対策をうつ」ということを掲げています。

しかし最近団体に所属したAさんは「しあわせ=経済的な豊かさ。商店街の閉鎖などからくる雇用の損失が地域経済を衰退させている。地域を賑わせる観光資源をデザインすれば観光客が地域にお金を落としてくれて雇用が促進されのではないか」と考えているので、団体の活動とぶつかりがちになってしまっています。

 ここまでの認識の相違はなかなかありませんが、曖昧な表現をコンセプトにしているところは結構メンバーごとに話を聞いてみると全然違う捉え方をしているところがあります。

この話で言えば「しあわせ」という表現が使われていますがl、団体が捉えている「しあわせ」を所属しているメンバーで共有されていないと「これはうちっぽくないよね」とか「うちのコンセプトの地域のしあわせには当てはまらないんじゃない?」という創設メンバーしか理解しておらず、しかも感覚的にしか団体にも浸透していないという事態になってしまい活動へ参加しているという意識がなくなってしまいます。

こういうことやったらいいんじゃないですか!と思って企画をしても、なんか違うんだよねとか言われたらテンションだだ下がりですし。

みんなが完璧に同じ方向を向いて、同じ道を歩むのは難しいかもしれないけれど、最終的に目指す場所へたどり着けるようにするためにも目的地の設定と共有をしておかないとどこにいけばいいのかわからなくなりますから。

意見の相違だったり、人や活動に惹かれて入ったけど思っていたのと違う…

何を目的としてやっているのか誰もがバラバラにやっているから何をしていればいいのかわからないといったことを無くすためにも目的、コンセプトの共有を怠慢にしてしまうのはよろしくありません。

 

雰囲気

 雰囲気は一番その組織らしさが出る部分でもありますし、ストレスの軽減や、モチベーションを保つためにも重要な要素です。

とはいっても各団体ごとの人間関係や所属している人の性格によって変わってくるものですから一概にこういう雰囲気にすべきだなんてことはわかりません。アットホームな職場とはよく言いますが、じゃあもうずっとYouTube見ていて許されるのかと言われるとそうじゃない…ところが多いと思いますし、言葉でこういうのがいいんだというのは簡単に述べることができますがそれも組織の構成によって違ってくるでしょう。

 理想の雰囲気に近づけるために、気をつけたいのが自分の気持ちが負のときに周りにそれをばら撒くこと。かれぴっぴや友達と喧嘩をしたり、調子が悪い時も往往にしてありますが不用意にばらまくことは周りにストレスを与えてしまいます。

人間関係の基本かもしれませんが、自分の気持ちを周りに押し付けてしまわない。

特に管理する側にたつ人は、自分の雰囲気一つで周りの活動事態を萎縮してしまうことにもつながるのでストレスをある程度自分の中で消化してあげる必要があります。

上司がストレス溜まっているのありありと感じていると、聞きたいことがあってもこれ聞いたら殴られるんじゃないかと恐怖のあまり仕事にならないし、でも聞かないといけないから結局聞くとめちゃいつも以上に怒られるということがかなりありますよね。僕はめちゃくちゃ怒られました。理不尽。

活動がしやすい環境をつくるためには、過度なストレスがかからない緊張感とゆったりとした言動ができる雰囲気を管理していくようにしたほうがいいかもしれません。

 

 

 

次、どうする?

活動をしている中で意識していきたいのは、一度限りのプロジェクトや組織でない限り次に担当する人たちがより先に進むためにどうしたらいいのかを考えること。

次の人がやるためにはここをわかりやすく説明できる資料が必要だなとか、これ自分が次やるとしたらもっとこうしたほうがよかったな、などなど。

昨日より明日。明日より明後日。

せっかく自分たちが切り開いて来た道が、時間が経って草木が生えてまた険しい道に戻ってしまわないように。

次にこの道を進む人たちが切り開いたところまでは楽にいけるように制度や道筋を整えてあげることで、もっと先に進むことができる。

今回は僕たちここまで道をつくったから、これからはもっと遠いところまでたどり着いてなという、次回へ向かう人たちへバトンをつないでいくことも、目の前のことに一生懸命になることと同じぐらい大事なこと。

単純に次にどうするのかという思考を身につけておけば、終わったことをそのままにせずじゃあどうしたらよかったのかを考える習慣になりますから自分の能力を高めることにもつながりますし。

 

 

 

長々と僕が思う団体・組織など集団で活動するときに結構ないがしろにしがちだと思う要素を書いてみました。目の前のことに一生懸命になるあまり、他のことが見えていないということはよくあることで素晴らしくはあるのですがそれだけではより良い成果を出すことってできないと思います。チームで動くから素晴らしいことができるのではなく、素晴らしいチームの活動の結果が社会で求められているのではないかと。

形だけじゃなく気持ちでも1つになったチームが成し遂げたことに感動することってスポーツ中継を見ているとよく思うんですけど、社会活動でもそれができると思います。

感動を生み出せるほどの仕事や、場所をつくってみたいなと思うこのごろ。

 

 

それではさようなら。

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全然関係無いけど、お仕事ください。

じゃあね!

未来を描く、歩く時に思いたいこと。

みなさんこんにちは。
肌寒い季節になりつつある気候ですね。外に出て行く時にTシャツ一枚ではさすがに寒いし、かといってアウターは後で暑くなるかもしれないし…と服装でお悩みの方も多いかと思います。
おおいに悩んでください。


さて、先日雨の中奈良市にある藝育カフェSANKAKUへと、
講演会とは思えないように痛快で感動してまうような方々のお話を伺って来ました。
それがこちら↓↓

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「魔法をかける編集」という本を出版された藤本智士さんという方のトークイベント。


有限会社Re:Sの代表であり、秋田県で「のんびり」というフリーマガジンの編集長を経験、震災支援のため俳優の佐藤健さんとの熊本の旅を編集・執筆した「るろうにほん 熊本へ」など数多くのローカルでの取り組みを編集者として手がけられている藤本さん。

 

これまで行かれた地域の美味しいものからなんじゃこれというものや、ご自身の事例を踏まえつつ編集をしてきたうえで考えておられること、大事にしないといけないことを楽しくお話ししてくださいました。
棒寒天の生産がトップである長野県に訪れた時に見た、田んぼの上で日を浴びて光る半凍りにされた寒天たちと周りの景色が美しすぎたとか。

仕事をして来た中でのお話では、ほんとうに大丈夫こんなこと話して?裏側すぎないこの話?仕事中そんなこと思ってたんかい。というあれやこれやも書いていきたいのですが、あの場所にお金を払って参加された人だけの特権ということで詳細は省きます。


全国でまだトークイベントされるということですし、呼んでくれればたぶん行きますよ!(笑)と仰っていたのでどうしても気になる方はぜひそちらで。もう一回同じ話を聞きたいほど面白かったのでおすすめです。


イベントの詳細な内容は省きますが、僕がお話を伺っていて本筋とはずれるかもしれないけれど大事にしたいなと感じたお話を3つご紹介します。
「編集」ということだけではなく、すべての仕事や活動で考えられるべきことだなと思うのでみなさんもご自身の経験と照らし合わせてお読みください。

 

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1.本質があることをしているのか?


 イベントや、キャンペーンなども手がけて藤本さんですが、そこに一貫している考え方は「本質」を捉えているのか、目指している未来にたどり着けるものなのかということ。
認知度とか、バズとか数字だけを気にしているものとか、一過性のニュースに取り上げてもらうだけが目的の取り組みに未来はないとのこと。その場その場で確かに話題になるものはできて、満足するかもしれないけれど5年後、10年後を見た時にあんなのありましたねじゃ意味がない。
今は少しずつの進歩しかないかもしれないけれど、描いた未来を年が経つにつれて実現できるようになっていくのかを考えてやっていかなれければいけない。
しかも、描いた未来っていうものは地域の人たちが本当の意味で目指しているものなのか。
こうなったらいいんじゃないかって適当に設定した未来で、その場しのぎキャンペーンでは意味がないんだ。

 


2.ヴィジョンを持つことの必要性?


「最近自分に明確なヴィジョンがないっていうお悩み相談みたいなこと結構多いんですけど、こういう場でもね」それに対しては僕がいつも考えていることを言うんですけどと、少し割らないながら
明確なヴィジョンなんてなくてもええやん。それぞれで役割があるし。そんなみんなヴィジョンもってやってたら世の中わやくちゃになってまうし(笑)一部の明確なものを持っている人たちに共感して支える人たちもいなかったらなにもできないでしょ。勇者でも魔法使いとか仲間がいないと魔王なんて倒せないし」と。


このお話を聞いた時に僕はなんだか頭が軽くなったような気分を覚えました。


今までの学生生活や就職活動の中で、自分がこうしたい!っていうものを持ちなさいっていう価値観を育まれてきた中で、他人に主体を任せてもいいのだという考え方はすごく新鮮。
生き方を他人に任せるというか、考えなしになってもいいということでは決してないのだろうけれど。時代の流れとか、身を置く環境の価値観に無理やり自分をもっていくこともないし、もっと自由になにをしていくのかを考えるのがよっぽど建設的だなと。

 

 


3.お互いを下に見るのではなく、尊敬し合うということ。


 自分たちはこんなことができるのに、これだけやっているのにという考え方をもって、他と関わっていると自然と協力している人たちを見下したり、攻撃的に言葉を交わしがちになってしまう。

自分たちと同じことを求めるのではなく、その人たちが専門としていること、自分たちにはできないことを全力でしてくれているのならそれで十分で、自分たちの領域で足りていないことは自分たちがもっとやっていかなければいけないのだという自覚をもつことが大事。
知らずしらずのうちに見下しているのだけど、自分たちより上のことができるだろうと相手に委ねていてはいいものはできない。
協力しあえる関係をつくるためにお互いの領域を自覚し、全力でやってくれることに対してリスペクトすること。難しければ外の人に入ってもらってバランスをとってやっていくほうがいいのではと。

チームでやる以上全部同じ方向に力を持っていくよりはバランスよくお互いの力を出していきつつ、結果を出していくようにしたほうが最終的にいいものができると思いました。

 

 

今回の藤本さんのお話を聞いていて、これまでは「編集」というかデザインとか、広告とかって課題解決の手段っていう側面ばっかり目についていたんです。

日本の少子高齢化とか、過疎化とかを解決するために動画を作ったり、キャンペーンをしたりと。

 

でもお話を聞いていったり、著作である本の内容を思い返していると考え方の転換を図れたのが課題解決というよりは、ヴィジョンの達成のための手段という考え方がしっくりとくるなということ。
課題って主体によって変わってくるものだと思うんです。過疎化も行政なのか、市民なのか見方によって課題と言われているものが実はそうでないかもしれない。
それよりかは、こうしていきたいっていうものを共有して擦り合わせてお互いのことをリスペクトし合いながら動いっていったほうが本当の意味でよりよい地域づくりとか、国の成長が見込めるのではって思った次第。

 

 

文字だけであの自分が感じ取っていた熱量は表現しきれないし、自分の感覚も混ぜて書いているので伝えきることはできないのですが本当に楽しかった。

 

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すっごい宣伝みたいになるけれど、「魔法の編集」は僕も書いましたが難解な実用書でもないし、かといって中身がないというわけでもない払ったお金の価値は絶対にある本なのでおすすめです。
気になった方はぜひ買って読んでみてね!


おもろいことやっている人の話はやっぱり聞いててストレスフリーだ。

整理と選択。

みなさん、こんにちは。

最近関西に戻ってきたふるふるです。

休みをもらっている状態なのですが、暇すぎて死にそうなほど予定がないのでひたすらにゴロゴロしています。

実家って最高か。

 

 

さて、今回は暗いのでが自分の状態と、同じようなことを抱えている方へ向けて書きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

うつ状態
気分障害の一種であり、抑うつ気分、意欲・興味・精神活動の低下、焦燥(しょうそう)、食欲低下、不眠、持続する悲しみ・不安などを特徴とした精神障害。(Wikipedia より引用)

 

 

それが10月の初め、何の気なしにいった病院で下された私の診断でした。


社会人として働き始めてから約半年。
正直ほっとした気持ちの後に、自分が社会で取り残されたような感覚がドッと湧き上がってきたのをはっきりと覚えている。


嘘みたいに思えるかもしれないが、仕事が嫌だったわけではありません。
自分なりに大義は感じていたし、成果がでると嬉しかった。
人間関係もよく、自分の成長を促してくれる指導をしてくださる方々で恵まれていたと思います。

 

 

だけれどいつの日からか、仕事でこうしたいという目的は消えて次の休みまでなんとか耐えないとという意識に変わってしまっていた気がする。
休日になれば友人と遊べる。美味しいご飯を食べに行こう。綺麗な景色を見に行こう、そんな逃避的な考えばかりが心の支えになっていました。

仕事の日は動悸が激しくなる。通勤の電車の中で今ミサイルが打たれたら出勤しなくて済むだろうかと毎日希望を抱きながら、最寄駅に着くと諦めの気持ちとともに改札を出ている。

自分の世界から抜け出せなくなっていた。
前を向けずに、幸せだった後ろばかりを懐かしんで進むことが怖くなってしまっていたんだと思います。。
自覚はあったから甘い、そんなことではだめだと言い聞かせながら勉強をしても頭が働かない。考えることを拒否しているようでした。

 

毎日苦しいのだけれど、いつしかそれが当たり前になっていく。
次の休みまであと何日ということしか縋るものがなくなった私は、たぶん心が死んでいた。

 

病院にいったのは本当に思いつきで、もしかしたら鬱なのかもしれないなーと軽い気持ちで予約して診断を受けたら本当に鬱だった。

そこから現在の仕事は休職させていただき、関西でゆっくりのんびりやっている。母親には仕事をしていた自分の状態を笑いながらそんな状態でよく働いていたなと揶揄されるし、友人には休みがあって羨ましいと冗談半分で嫉妬の声をいただくが、少しずつ自分が戻って行く感覚をおぼえる。

 どこか自分を遠く置いている感覚はまだ消えないけれど、なんであの頃はあんなに我慢していたんだろうと少し笑えている今が幸せだ。

 


もし、今の状況が辛くて苦しいけれど、まだ大丈夫とか。
これを乗り越えればあとは楽だからと、自分に言い聞かせている方は友人や家族と。
どこかへ行きたいけれど、退く場所がない方は、誰でもいいから一度自分の状況について相談したほうがいいかもしれません。

今回の自分の例でわかったのは、自分の気持ちは意外と認識がしにくくなるということです。
自分で書くことも一つ手ではありますが、誰かと会話をしているなかで自分の気持ちに気づくことも多くあります。


黒いモヤモヤのようが自分の気持ちを覆っていたり、違う部分ばかりに目を向けがちだとなかなか自分では気づくことはできません。
自身の考えを外に出していくことを繰り返しながら、整理をしていく。


そこで初めて今の状態はこういうことなんだと納得したりすることもできます。

なんとなくしんどいとか、息苦しさが最近続くとかもしかしたら一度どなたかに相談まで行かなくても、愚痴をこぼされてはと思います。


偉そうに言えた義理ではありませんが、どんな選択をしようとそこで人生が決まるわけでもないし、終わるほどある意味優しくは人生ってできていません。
選択の結果、どんなことを自分が続けて行くのか。最後に笑えるのか、悲しくなるのかは決まると思います。
今苦しくても、恥ずかしくても最後に笑える選択と、幸せな人生をあなたが歩めますように。

 

 


急な休みは何をしようかなー。

食わず嫌い

みなさん、こんにちは。

 

最近休みの日に生意気にも日本酒を嗜むようになったふるふるです。

酎ハイなどと違ってお腹も膨れないし、後味もすっきりしているので飲んでしまう日本酒美味しい。

 

 

 

さて、突然ではありますがお読みいただいているあなたに伺います。

何か趣味や、好きなことはあるでしょうか?

 

〇〇のミュージシャンが、この作者が、ここのお菓子が好きなど何かしらのこだわりはどこかあるかと思います。

好きなものってそれだけで自分のエネルギーになるし、幸せな時間を提供してくれますよね。

私もジンベエザメが大好きなんですけど、本当に何時間でも見ていられる。

大阪の海遊館で有名なジンベエザメのカイくんなんか幼い頃から見ているから、たとえ世代が変わったとしても愛せる。いやむしろ、カイくんという概念が受け継がれているから永遠にカイくんが見られるんじゃないかって思う。

 

 

カイくんの話は以前友達に言ったらドン引きされたのでこの辺にして、好きなものってそれだけでのめり込んじゃいますね。それ以外はいらない!もうこれさえあれば生きていけるみたいな感じで。

 

ただ最近思うのは、好きなことだけでも生きていけるけれど好きなものをもっと増やした方が人生楽しくなるんじゃないかってことです。

 

例えば納豆を食べたことはないけど、なんとなく嫌いという方いらっしゃると思います。

だけど食べてみると意外とご飯に合うし、美味しい!ということも結構多いですよね。

 

私は嫌いなままでしたけど。

 

それでも。実際に体験してみないと、本当のところで面白いのか美味しいのか理解なんてできないと思います。

食わず嫌いせずに、一度自然と話していたことも体験してみることで実ははまっちゃうことになるかもしれません。

好きなものが一つ増えると、それだけ毎日の楽しみが増えますよね。

 

ぜひ周りの方とこういうお話しをする機会があれば、ご友人の好きなものにチャレンジして見てはいかがでしょうか。

 

 

今日も日本酒が美味しいな。

 

 

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明日、何しようかな?


2,522,880,000秒。

何の時間かご存知でしょうか?

 

人が80年生きると仮定した時に与えられた時間。
25億秒。

果てしない。
お風呂で数えてたら1000秒ぐらいでのぼせそう。

健康で、トラブルがない限り大体の人間にはそれぐらいの時間を生きることができる。

長いじゃんまだまだ余裕だぜYouTube見ようとか思ってる私だけど、よくよく考えてみたらもう7億秒ぐらいは生きてる。

約4分の1ぐらいの時間はもう使ってしまった。

順調にいけば後残された時間は、18億秒ぐらい。


人生は時間だし、長いとか短いとかそんなあやふやなもんじゃない。
何も考えず10秒数えるだけで確実に死へと近づく。


だから、人生を意味あるものにするために哲学しろとか、勉強しろってことではないけれど。

どうせなら美味しいご飯を食べたり、綺麗なものを見たり、好きな人とイチャイチャしたり、友達と意味もないことで盛り上がって楽しい時間を過ごしたい。


嫌いな人とか、面白くもない本に時間なんて使うなんて時間の無駄だ。

人生が長いとか短いとか、残された時間がこれぐらいだから何をしなきゃいけないなんてことなんてないけれど。


どうせ自分で使う時間ならどう使う
かゆっくり考えて、焦らず楽しみたい。

明日何をするのか、学んでどんなことができるようになりたいのか、考えるだけで楽しみだ。