furufur’s blog

日々の書き溜め。所属している団体、組織には一切関係ないよ。

逃げるは恥だが、悪かない。

逃げるは恥だが役に立つ

みなさんはご覧になっていますか?

 

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ガッキーは本当にかわいいし、本当にかわいいから見たい(星野源の『恋』もめっちゃ好きです)のですが、帰るのが間に合わなかったり寝てたりでまだ1回もちゃんと見ていません。

だからタイトルになんの意味があるのか全然わかってないのですが、改めてよく見てみると逃げることをポジティブに捉えている言葉でいいなあと感じていました。
そこでみなさんにお聞きしたいのですが、

 


「逃げる」と聞いてあなたはどんな印象を受けますか?

 

 

 

 

正直あんまりポジティブなイメージは浮かばなかった人が多いのではないでしょうか?(ポジティブなこと浮かんだ人なんでなのかめっちゃ興味あるので教えてください)


個人的な意見にはなりますが、この記事のタイトルの通り悪いことではないんじゃないかなあと思っています。100%ポジティブとは思えないですけど。

自分ができることとか、やらなきゃいけないことまでもう無理!とか言って投げ出してしまうのは本当の「逃げる」ことだと思うのでオススメはしないです。僕も何回かしましたが後悔と悲しさしか自分にも周りにも残らないので。

僕が逃げても問題ないと思うのは、客観的に見て自分に毒にも薬にもならない状況、行動から離れることです。

 

僕の体験談を例に出すと、
中学時代、僕は半不登校でした。
全く学校行ってないわけじゃないけど登校日の半分ぐらいしか行かないみたいな。


それはイジめられて(かなり軽い?ものではありましたが)いたし、呼吸器系の病気を患っていたりもしたので精神的にも身体的にも学校に行くのが辛かったからです。
学校に行かない時は宿題や、予習、復習する学生引きこもりの鏡のようなことや、近所の子どもの子守とか、放課後になって帰ってきた友達と一緒にゲームしたりなどしていました。
引きこもりではありましたが、人とのコミュニケーションはある程度とってましたね。

 

 

そんな生活が続いて、
ある時母から、
「休みたかったらなんぼでも休み。逃げてるなんて思わんでいいから」と言われました。当時は思春期まっさかりだったので感情はうまく出せなかったけど1人になって泣くほど感謝したことを覚えています。

 


学校に行かなかったら
意気地なしと思われる、
身体弱すぎやろって思われる、
なんで学校来てないのに遊んでんのって思われる、
自由に休めるとか甘えすぎって思われる

学校に行かずに誰かといる時もずっとずっと後ろめたい気持ちでいっぱいでした。他のみんなは普通に学校に行って勉強してるし、遊んでるのに僕は逃げてばっかりって。


何度も、
何度も、
何度も、

 

 

 

頭の中でもう1人の苦しそうな自分が繰り返し叫んでいました。

死のうとは思わなかったけれど、自分を嫌いになるには十分な環境でした。

 

そんな時に言われた母からの一言。
その一言を受けて僕はこの環境を考えてみることにしました。


この環境に立ち向かうことは可能か。
イジめてくる人たちを打破して、クラスに馴染むことはできるのかと。

 

 

 

 

 

 


無理じゃね?

 

 

クラスでの人気者を打ち負かすとかこれまで引きこもってたコミュ障には勝ち目ないし、仮に成功したとしてクラスに馴染めるわけないやん……
詰んだ……


と、客観的に状況を僕なりに分析した結果。このクラスのまま僕が楽しく学生生活を送ることは無理だと結論がでました。
立体起動も武器もなしに巨人に立ち向かうようなものです。すぐに捕食される。立ち向かうべきだというやつを囮にしてでも逃げるべきだとこの時決意しました。

そこから逃げに逃げて学年が変わると、恩師とも言える担任の先生に出会うことができたし、奇跡のような気のいいクラスメイトにも恵まれたのでそこから本当にほとんど毎日学校に行けるようになりました。

 


今、どうしても自分のいる環境から逃げ出したい方。

一度今のご自身の状態を客観的に見てみることをオススメします。
自分に何の非もなくて、傷つくだけで、リカバーのしようがないなら逃げましょう。逃げちゃえ。

後ろ指も刺されるし、自分のこと嫌いになるかもだし、後悔もするし、恥もかくけど覚悟して逃げよう。

それは多分自分にあったフィールドへ移動したり、離れたりするっていう意味での逃げだから。次のところで頑張って足をつけてやりましょう。


当時中学生だった僕もそうなのですが、自分の存在を認めてくれるコミュニティが家族、近所、学校ぐらいしか無いと信じていたので逃げることが人生の終わりレベルに感じれるんですよね。

でも、少しあれから大人になって思ったより自分っていう存在を認めてくれる人や場所ってあるなって。
逃げたくなったらそこに行くもよし、機会を伺って今の環境に戦いを挑むのもいいと思います。


言いたいことがありすぎてまとまりなくなってきましたが、辛くなったら
その場から立ち向かうだけでなく、「逃げる」=離れることを選択肢の1つに入れて欲しいなってことです。


きっと生きてれば「逃げ恥」みたいなドキドキするやつとか、もっと面白いものとか人に出会えるから。色んな世界を見てみてください。


ああ、逃げ恥楽しみ!

 

 


※上部にある写真は、逃げるは恥だが役に立つTwitterアカウント様が投稿された写真を使用させていただいております。

広報てなんやねん

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みなさんこんにちは。

最近ゲリラ豪雨にあって体調を崩していたふるふるです。

傘ちょうど忘れたときに限って降ってくるんですよね。

 

さて、今回のテーマは広報の役割です!

大学時代、「広報」という役割で何年かボランティア等で活動させていただきましたが、その時を振り返って書いていきたいと思います。

 

「広報」と聞くとみなさんどのようなイメージを浮かべるでしょうか?

PR、広告、雑誌、商品発表、SNSなどなど…

多くの人に「何か」対象となるものをお知らせする、といったことが「広報」の役割であるというイメージの方が多いのではないかと思います。

まさしくその通りでございます。

どんなに偉い人がそれは違うと言っても、広報とは「広く報せる」と書く通りの意味を持っています。

ただ私が広報の活動をしていて考えていたのは、なぜ「広く報せる」必要があるのかということでした。

 

 

 

「広報」を担当として必要とする理由としては、人を呼ぶ、知ってもらうためというのも1つ確実にありますが、私が一番重要だと思う理由は「好きになってもらうこと」です。

伝えたい誰かに届けることで、届けるものを好きになってもらう。

ファンが増えればその分来場者や、販売数なども増えるわけですから組織の利益に間接的ではありますが貢献することになりますよね。

単に情報をお知らせするだけでは人の感情を動かして、アクションまで結びつけることは困難です。広報をするときに最も大切なのは「伝えたいことを相手に好きになってもらうにはどんなことをすればいいのか」ということ。

社会に広く報じることで、自分たちのファンを増やすことが「広報」という役割の目的だと考えています。

 

 

 

情報を届ける作業だけになってしまわず、「広報」という役割を担う方は一度自分が行うことでどのような意味、効果を持つのかを考えてみるのも面白いと思います。

一見すると作業をするだけの役割ですがその実とてもクリエィテブな仕事だと思いますので。

 

それでは、さようなら。

 

 

 

 

久しぶりに大阪に帰ってくるとエスカレーターの立ち位置に違和感を覚えたね。

モチベ×ハ×ワクワク

 

みなさんこんにちは。
東京で働くことが決まったふるふるです。
関西圏以外で初めて暮らすことになるのでドキドキしています。

 

さて、
仕事を初めたばかりですが、時々モチベーションが下がって気持ちが入らずミスをしてしまう時もあります。このモチベーション、やる気が仕事の効率化、質の向上につながることはわかっているのですが自然に湧き上がってくるものでもないし、湧き上がって来たとしても結構一時的なもので三日ぐらいするとボケーっと抜けてしまうことが多いですよね。
そんな自分にイライラしてこれじゃダメだと奮起しようとするのですが難しい...

社会人って大変だなあと感じている私でしたがよく考えると学生の時分も似たようなものでした。よーしやるぞ!って思った一時間後にはYouTubeでゲーム実況を見ている。
やらなきゃいけない卒論があるのに借りて来た映画を見ちゃったり、気持ちとしてはやりたい、やらなきゃいけないという思いがあるのに集中力が途切れ結局、結果が思うようにならないということがあります。

極端な例かもしれませんがスティーブ・ジョブズのような社会を変えた経営者の方達はどうやってモチベーションを保っていたのか疑問で仕方ありませんでした。
最近仕事でご一緒した方やこれまでお世話になっている、一緒にやって来た同期を見ているとモチベーションを保つことの根本的な考えがわかってきたような気がします。

「行為ではなく目標をエネルギーにすること」
これが自分を奮い立たせ、成長させるために必要なことだと思います。
「〜したい、してみたい」という願望はもちろん純粋なエネルギーになりえますし、意味がないことなどはありません。ただ、行為を目標にするのではなく「〜のようになりたい」「こんな〜をつくりたい」など明確にこれをすることで自分はどうなりたいのか、という姿を思い浮かべて具体的で明確な目標を持つことによって、そこにたどり着くためにはこれから何をしていけばいいのかを考え、行動していくこと、自分が今どの段階にいるのかがわかります。
私の体験談にはなりますが、大学受験中には自分のバラ色のキャンパスライフを送っている姿を想像した上で何もする時間があるなら勉強に励み、習慣化させていました。


明確で具体的なそれでいてワクワクするような目標を立てることが、今の自分の行為を意味のあるものに変え、やる気を自然と湧かせ理想を叶えるために必要なことです。
なんとなくで、何の背景もなく立てた目標には自分の願望と言えるほどの想いもありませんし、叶えるための具体的なアイデアと行動に結びつかないかもしれません。
今、何もすることがなくてYouTubeを見ている暇がある方も30分間自分のこれからの目標について思考を巡らせるのもいかがでしょうか。

偉そうなことをいいながら私も満足にはできていないのですが。


それでは本日はこの辺りで。
おさらば。

P.S.東京でおすすめの場所があればこっそり教えてください。

Correct syndrome

こんにちは。

つい先日、夜は短し、歩けよ乙女を観にいって京都に行きたくなった私です。

夜の京都いいよね。


最近仕事を始めたり、色んな学生さんとおしゃべりしていく中で感じるのが
正解や模範解答を探すことに必死な人がいること。
自分にももちろん当てはまることではあるけれど、就活とか仕事とかでとりあえずこれをやっておけば問題ないことありますかとか聞く人もちらほらと見ていると失敗、踏み外すことでゲームオーバーになるような緊張感、感覚を覚えながら正解を探している気がする。

これをしておけば問題ない。
この方向に向かっていけばきっと辿り着けるはず。

無意識的に何かを恐れるがゆえに自分ではなく何かわからないものを拠り所にしてやり過ごしたり、そこに依存していくことで思考の放棄につながっている。

正しい人生や方法なんてものはほとんど場合用意されていないし、目標があるのならそこに向かうためにできることを考えて積み重ねていくしかない。

失敗をしても、どれだけ恥ずかしいこと、人に嫌われてしまうようなことをやらかしても人生は続く。

大切なのはそこから這ってでも、諦めずに目指すところ確実に歩を進める覚悟を持つこと。

一足跳びにも、明確な地図を探して
歩くこともおそらくできない。

あやふやで、先の見えない真っ暗で、努力が報われなかったとしても。

失敗と改善と、トライアンドエラーを何度も何度も繰り返した先にきっと望むものがあるはず。
諦めないど根性がきっと道を作ってくれる。


ミスチルのfanfareとか聞いて頑張ろうぜ。

 

https://youtu.be/hqmQmnwiMIU

 

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近くも遠くもない自分を全力で生きる

みなさんこんにちは。

 

最近ぼくのりりっくのぼうよみにはまっているふるふるです。 

ひらがなばっかりだ。

 

明日は何の日か知っていますでしょうか?

 

そう、ついに明日は世間でいう就活解禁日。

○○ナビさんたちが開催する合説があちらこちらで始まり、慣れないスーツ姿をした学生さんたちが多くなりそうです。

 

これを読んでくれている方の中にも、就活生の方もいらっしゃるのではないでしょうか。ぜひそんな就活生の方に読んでほしいなあと思います。

 

就活といえばよく言われる求人倍率ですが、

僕たちの世代、2017年卒の求人採用倍率は約1.74倍だそう(リクルートワークス研究所調べ)。

求人倍率とは、求人総数÷民間企業就職希望者数で計算されるみたいですので一概には言えませんが、1人に対し1~2つの働き口があるということになります。

 

2018卒である方々の倍率もそこまで変わらないでしょうから、働く場所さえ選ばなければどこかは採用してくれるであろう、となりますね。

ただ、多くの方は大企業や自分が目指している職種の会社への内定をいただきたいと思っていると思うのでそこを目指して欲しいですが。

 

今回のブログでは恋愛経験がほとんどない僕が、就活を恋愛に例えて書いていきたいと思います。

 

 

 

 

大前提として、

みなさんはこれから会社へエントリーシートや履歴書を書いて選考へ応募していくと思いますが、相手の企業は好きですか?

 

顏とか、体つきが好みだということだけで選んでいないか自分に問いかけてみてください。

誰もがうらやむ大手(おおて)ちゃんはめちゃくちゃかわいい。

付き合えるなら絶対に付き合いたい。だけれど、実際に付き合ったら性格が合わず苦しくなるなんてこともあります。

 

相手のことを何も知らず、表に出ている情報や自分の好みという直感だけで企業を選んでいると、いざ告白する時にも「君の身体がタイプなんだ!!」「あなたの筋肉量が好きなの!」としか言えなくなります。最低ですね。

 

 

外見だけで判断するような人とはほとんどの人は付き合いたくないでしょう。

それよりもきちんと自分のことを知って、どうして自分を好きになってくれるのかを話して、将来のことも考えてくれる人のほうが好感触なはずです。

もちろん自分の好きなタイプで、常識のある人という前提はありますが、まずは相手のこと、自分のことをよく知り、本当にお互いが幸せになれるのかを考えましょう。

ほとんどの企業は自分のことを真剣に考えて、どうして選んだのかを重視するはずです。

 

 

ただし、例外として企業の中でも人を選ばず誰でもいいというところもあります。

仕事がヤれる身体がほしいという黒井さん(ブラック企業)は、手ごろな人を探していますから誰でもいいのです。セフレとしてヤれるなら病気を持っていなければだれでもいいのです。

そんな黒井さんについていったらヤり捨てられ、身体と心に深い傷を負うことになるかもしれません。

そんな相手には注意が必要です。

 

 

色んな企業の選考を受ける中で、自分が好きな企業も絞られてくるとは思いますが気をつけなければいけないのは焦りと不安で楽なところへいき安心してしまうこと。

 

 

恋人(内定)ができないと確かに焦ります。

このまま一生童貞(無い内定)なのか…

かれぴっぴもいないわたしなんて…と不安になることもあるでしょう。

だけど都合のいいやつになって、安心しないでほしいんです。

 

相手が好きそうな「自分」を演じたり、内定ゲット!などの本や記事に書いてあるものに縋るのではなく本当に好きな相手を見つけて、自分の言葉で、態度で相手に好きと伝えたほうがいい。

 

それで振られたら自分とは縁がなかっただけです。

次に好きになった子に全力を尽くしましょう。

必ずあなたに振り向いてくれる素敵な相手がいるはずです。

 

 

 

 

企業によってまちまちではありますが、大手企業にもなるとエントリーシートを提出してから1ヶ月半ほど選考が続くところがほとんどです。中には第8次選考まであるところもあるそう。

 

恋人を作るのに8回も審査されるのはたまらないですが、就職活動は一生付き合うことになるかもしれない人と出会えるまたとないチャンスです。

人生は就活で決まらないけれど、決めることもできる。

本当の自分にあった相手と恋ができるように、自分を見失わず就職活動に臨んでほしいと思います。

 

 

最後に、就活は団体戦でもチーム戦でもありません。

多くの人が、独りで戦うことになります。

就活をしていく中で、どうしても不安になったり、焦ることもあります。

自分が否定されたり、周りと比較して自信がなくなってくる。

 

でも、そんな時こそもう一度自分の気持ちを確かめてください。

好きな企業に入って何をしたいのか、なぜその企業でなければいけないのか、あなたは相手に対して何ができるのか、したいのか

その問いに淀みなく答えられるならきっと大丈夫。自信を持って告白してください。

答えられなかったら、本当に好きな相手ってどんなところなのかもう一度考え直してみましょう。

 

就活が終わったとしても、まだまだチャンスはある。

節目があっても終わりはないから、気楽に構えて色々な出会いを楽しんでいただければいいかと思います。

独りの戦いを逃げずに立ち向かうことで、必ずかっこよく、かわいくなれるはず。

 

あなたに相応しい相手が見つかり、お互いが幸せになれることを祈っています。

 

 

 

 

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歯磨きは健康の元

 

 

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僕は今日、ある場所を訪れた。

 

「〇〇歯科医院」

そう、歯医者である。
歯というのは人間の身体の中でとりわけ扱いが難しいものである。
何せ肉眼では見えないのだ。
鏡を使えば口内を見ることも可能ではあるが、奥にいけばいくほど目視が難しくなる。そのため歯ブラシなどを使っても最終的には歯ブラシ越しに伝ってくる歯の感触を自分の手で感じることでどこが磨けていて磨けていないのかを判断する。
僕は朝、晩と1日2回歯をブラッシングするが、この作業が1日の中で一番神経を使っている気がする。

 

 

何はともあれ何度かお世話になっているお馴染みの歯医者だ。
清潔に整えられた待合室、子どもが退屈しないようになのかルービックキューブや知恵の輪といった少々対象年齢高めじゃないかというおもちゃが一角に固められている。
受付にいるマスクをしたお姉さんは既に施術が終わったであろう男性のお会計をしているところであった。ところで歯医者にいる衛生士や医院長はマスクを外さないがあれは必要なのだろうかといつも思うのだ。確かに衛生上、予防のために必要だというイメージはある。
だがそこまでして危険だと思うものが歯医者にあるのだろうか?
集中治療室ではあるまいし、危険なウィルスがとびかっているわけでもない。そのウィルスを持つ患者が来る可能性はあるかもしれないがそのことに気を張っていっては精神がイカれてしまうし、そんな患者はまず歯医者にこない。
紹介状を書いてどこかの研究所へでも送ってしまえそんなやつは。

 

あるいは患者がいきなりキスをしてくることを危惧しているのだろうか。
キスというのは口腔内の細菌が相手に移るという可能性があると何かのテレビで見た記憶がある。
なるほど、歯医者に来る患者というのは例外なく口腔内の歯に異常があるから来るのであって健康な歯を害する菌を持っている可能性があるからか。
そう考えれば納得がいくというものである。歯医者のスタッフさんがつけているのはキスガードマスクというものなのだろうか。存外、歯医者には清潔で綺麗な衛生士の女性が多い。不埒で不潔な男の魔の手を防ぐために自ら顔を覆って防御しているとは涙ぐましい努力ではないか。
世の男性はもっと歯医者の女性に誠意を持ってその身を委ねるべきあるという思考をしていると、受付の女性が呆れた様子でこちらを見ていた。
待合室に入ってずっとボーッと上を突っ立っているものだから変な奴が来たのではないかと思われたらしい。

これからお世話になる方々にそんな好感度を下げるようなことをしてはいけない。精一杯の爽やかスマイルと、僕は好きでもない女性とキスをするような浮気者ではありませんという気持ちを持って受付を済ませた。

 

 

 

10分もしないうちに名前が呼ばれ施術室に入る。早い。まだルービックキューブも解いていないのに。


施術室に入ると、そこには黒髪の乙女が立っていた。マスク、いやキスガードマスクをしていて顔の半分ほどが隠れてしまっているが僕にはわかる。
めちゃめちゃ可愛い。くりっとした二重の丸い目に、控えめに引かれたアイラインが綺麗というよりはかわいらしいという印象を際立たせている。白い肌に少しだけ化粧がのせられマスクからはみ出た頬のあたりが少しピンクを帯びている。これが本当のナチュラルメイクなのか。男が思う顔が可愛い女の子が薄くした、けれど雑ではないどこか黄金比を思わせるほどその元の顔の良さを何倍にも引き上げる選ばれたものにしか扱えないナチュラルメイクという奥義。僕は今それを、目の当たりにしてしまっている。マスクをしている女はだいたいコンプレックスを持つような見た目だと友人は言っていたがとんでもない、僕にはそのマスクの下に笑うと出てくるえくぼまで見えているぞかわいい。

 


歯医者で働く女性の警戒度も理解できる。これほどの美女を目にすれば普段から欲にまみれた男どもであれば確かにその唇を拝みたいと必死になるかもしれない。
キスガードマスクは数多くの涙に濡れた女性の歴史に裏付けされた産物なのか。許すまじ下郎どもめ。こんな街で会ったら絶対三度見するような美女と社会的地位と引き換えとはいえ接吻をするとは羨ましいけしからん。


そんな思考に引っ張られながらも僕は受付での失敗を思い出し、優雅に用意された可動椅子へと座る。
僕は紳士なのだからこの程度の状況で自分を見失わない。
キスガードマスクの下にある魅惑の唇にさえも心は揺れるが身体は椅子に固定したままだ。
紳士たるもの下心より女性の気持ちを優先するもの。
さながらこれからコーヒーでも飲むかのように椅子に深く腰掛け、足を組み施術の準備ができるのを待つ。
待つ間備え付けられていたラックから新聞を抜き取り経済面をチェック。
なんて紳士たる振る舞い、イエス紳士ノー俗物。


そして準備が終わったのか、椅子が後ろへと倒されていく。
僕の口内を明るく照らすための照明に少し目をやられながら、頭の上に来た彼女の顔に微笑む。

ついに、時は来た。
僕の紳士力が試される時間だ。


元々虫歯の治療で来たのではなく、定期検診という目的で来ているのでそれほど大層なことをするわけではない。
先端が丸みを帯びて内側に曲がり鏡がついたような器具を口内に入れられ、歯に異常がないかを見られる。
気分はまるで人体模型であるが、検査しているのが彼女であるのでよしとする。
口を開けたまま乙女の検査が終わるまで待つ。
多少磨き残しがあるとかで、歯の掃除をするらしい。歯磨きというのは個人でやるとするとどうしても汚れが取れない箇所が出てくるのは致し方ないことなのでありがたいことだと申し出る。
このような乙女に歯を綺麗にしていただけるなんて一生ものの思い出だ。

また口を開け、今度は水が勢いよく噴き出す機器を歯に当てられる。水流で
歯にこびりついた歯垢を取り除いているのであろうが、ほとんど痛みを感じない。むしろ今まで取れなかったけどものが取れたことに対する気持ちよさすらある。僕は彼女が奥歯に機器を当てようとするなら口を適度に開け、前歯と奥歯の間にある歯ならば少し口を閉じかけ横から水流を当てやすく調整する。まさに阿吽の呼吸である。彼女が次にどこを掃除するのかを予想し、そのポイントをどれだけ手軽に処理できるのかを考えて口をひらく。


これはもはや僕と乙女との共同作業と言ってもいいのではないだろうか。もし彼女と結婚することが万が一あった初めての共同作業は歯のお掃除でした(笑)なんて話をする機会もあるかもしれない。

妄想が終わると次は歯茎のチェックと残った歯垢を取り除くということで鉤爪のような器具を取り出す彼女。一瞬恐怖の色を顔に浮かべる僕だったが、この美女が人を傷つけるようなことなどするわけがないと気持ちを落ち着かせる。
この乙女の前では大口径の拳銃すら祝砲のための道具にしかならない。
そんな確信と妄信に身を委ねてリラックスする。さあどこからでもお好きなようにいじくりまわしてくれと言わんばかりの力の抜け方だ。こんな仕事は早く終わらせて水族館にでもくりだそう。ジンベエザメでも見て穏やかさと大きさに心を癒されながら帰りに抱き枕でも買って2人で使おうじゃないかと今後のことについて考えを巡らせていた時だった。

 

 

 

鋭い痛みが身体に走る。あまりの唐突さに思わず呻き声をもらしかけるが、口が思うように動かないためくぐもった声が喉から絞り出されるように発される。
何が起こったのかと涙で少し霞む視界を衛生士さんの方に向けると、そこには血についた器具が手に握られていた。紛れもなくそれは僕の血で、その器具が先ほどまで存在していたのは僕の口。うっすらと舌に鉄の味が味覚に残る。どうやら歯茎で隠れた歯垢を取る際に出血したようだ。

 

僕は言葉を失った。
先ほどまで2人で水族館に行き、ジンベエザメを彼女の肩を抱きながら見ていたのが嘘のようだ。ジンベエザメが泳ぐ透き通った水がどんどんと血の赤で塗り替えられていく。
苦しそうに泳ぐ彼はどんどんとその動きを鈍くしやがて、力を無くしていった。驚いた僕が隣にいる彼女の顔を見ると、そこには血がついたマスクを能面のような表情の上にかけた悪魔が立っていた。

 

彼女は僕に口をゆすぐように促すと、血にまみれた器具を掃除している。
先ほどのイメージは僕の妄想だったのだろうか。頭の中を整理するために横に置かれたコップに入った水を口に含み、吐き出す。
稼働椅子に備え付けられた小さな水吐き場には少し血が混じった水が遅く吸い込まれていく。
夢なら覚めて欲しい。
ここにいたのは、黒髪の乙女ではなく黒く笑う悪魔だったのだ。

 

 

どれほどの時が流れたのか、もうわからない。5時間だったのかもしれないし、20分程度だったのかも。痛みで引き伸ばされた時間感覚は、僕の思考もあやふやにしていた。
覚えているのは、痛みに苦悶の表情を浮かべた僕を見下ろす無機質な目と、僕の血にまみれた器具の姿だけだ。
おそらく自分の感覚ほど出血はしていないはずだが、ひどく血が抜かれた後のような倦怠感が身体にまとわりついてる。
そんな僕に構わず、黒髪の乙女もとい悪魔さんは僕に向かって世間話をしていた。虚ろな頭では何を言っているのか理解しづらい。完全に純潔を無理やり奪われた顔をしている僕に向かってなぜそのような最近の天気の話などできるのだろう。少し前までは今日の天気のように澄み渡った青空のような心が、今では血の雨を降らす陰鬱な色の雲に覆われている。この人はあれなのか。拷問を専門としている衛生士さんなのだろうか。油断させておいてまた治療をして、僕の心を削いでいくつもりなのか。
だとしたら大したものだ、僕の心はもう燃えかすになっている。
恋に溺れた、不埒な妄想をしてしまった罰なのだろう。

 

彼女に罪はない。仕事であり、僕の健康を維持するためには必要不可欠なことなのだから。
患者である僕が依頼したのとは違う内容とはいえ彼女は職務を全うした。最初からそういう関係だったのだ。

 

そうやって自分を慰めていると、治療が終わったことが告げられる。
次は1ヶ月後だそうだ。
僕はこの時決めた。

 

 


1日1時間使ってでも歯磨きを完璧にして、磨き残しを無くすと。

僕の精神的健康を守るために。

 

お会計もここの病院は早かった。
やりかけていたルービックキューブは、結局解けなかった。

 

 

※この作品はフィクションです。

実在の人物、団体、歯医者さん、施術方法とはほとんど関係ありません。

【夫のちんぽがはいらない感想】生きることのどうしようもないめんどくささ

こんにちは。

 

最近、卒業が確定して嬉しいような寂しいようなわたしです。

あと40年ぐらい学生やりたいです。

 

 

 

 

さて卒業のために四苦八苦していたわたしですが、その合間にずっと読みたかった本を読むことができたのでその感想を書いていきたいと思います。

その本がこちら。↓↓

 

 

夫のちんぽが入らない

 

あらすじ

  同じ大学に通う自由奔放な青年と交際を始めた18歳の「私」(こだま)。初めて体を重ねようとしたある夜、事件は起きた。彼の性器が全く入らなかったのだ。その後も二人は「入らない」一方で精神的な結びつきを強くしていき、結婚。しかし「いつか入る」という願いは叶わぬまま、「私」はさらなる悲劇の渦に飲み込まれていく……。

 

 

タイトルが衝撃的なこちらの本、「夫のちんぽがはいらない」。

こだまさんという著者の方の私小説となっております。

 

近くの書店を探しても在庫なしだったり、本を探してもらうためにタイトルを女性の書店員の方に言うだけでセクハラで捕まりそうだったのでアマゾンで購入して読んでみました。

こういう時にアマゾンは商品名をダンボールに表示しないというのが本当に素晴らしいと思います。提案者の人にチョコパイを買ってあげたい。

 

 

と、届いてから2日ですべて読み終えたのですが、この本に関してはじめに言いたいことは

 

 

 

 

 

 

 

 

初めて読んでいる途中に、本を閉じて頭を抱えた本だった。

 

文体が独特すぎて難解すぎて読み解くのがめんどくさいというわけではありません。

 

それよりも文章で表される生々しさとか、現実のどうしようもなさがスルスルと頭の中に入ってきて気持ちが悪くなる。

 

だけどこの気持ち悪さを時折解消させるユーモアがあったり、読了後の清々しさは呼んで良かったと思わせるものがあります。

 

タイトル通りの性行為を題材にした本では決してない、1人の女性の人生が体験した現実がただひたすらに描かれるこの作品。

 

この作品の特徴はなんといっても私小説ということ。

現実に著者の方が直面した出来事を素材にして描かれているものなので、ど

れもが実際に起こっている出来事、感じていることです(だと思う)。

 

生きていて感じる周りの人たちとの関係に対する面倒くささ、

「普通」とされる人生のテンプレートを押し付けられて生きる息苦しさと不安、

人と生きることの苦しさが書いてあるにもかかわらず、

冷静で、突き放さずに自分の経験として語っている文章に引き込まれる。

 

 

この本を読まなければこんな気持ちにならずに済んだのにと、途中で苦しくなることがあるかもしれませんが、最後にはきっとこの本に出合えてよかったと思えるようになるかと思います。

 

 

誰もが持っている「普通」とやらの価値観に押しつぶされそうなときもある、

自分を殺して普通にならなければいけないのかと死にたくなるようなときも、

大切な人のために何かを諦めなければならない時だって往々にしてあるけれど

そんな時、この本のことを思い出して笑って乗り越えられたらいいな。