特別になりたくて個性を追い求めた18の夜
「個性的な人になりたい」
高校という枠でくくられて、ルールで縛られていた時に出会った同級生を見ていていつも思っていた。
その子は特段勉強ができるわけでもなかったけれど、自分なりに友達のことや、将来のこと、社会のことを考えて話ができる、当時の僕からすれば眩しい人だった。
その友人のことを、
「やっぱり〇〇くんは個性的でおもしろいよねー」
と、クラスメイトたちは褒めたり、時には妬みの声もあったりしたけれど慕っていた。
自分もあんな風になりたい。
ちやほや、モテモテになりたい。
などと理想を描いたものの、結局のところ僕は周りに流されるまま高校を卒業して今にいたる。
あの頃より少しは見える景色も広がって、考えることも多くなった今ではかつての友人はきっと『自分』というものを見失わかったらこそ個性的で、特別だったのだろうと思う。
小学校、中学校、高校、大学、会社と僕たちが通過するところには余分だとされふものを削ぎ落としていく濾過器
のようなものが設置されていて『自分』という尖ったり、丸くなったりしているところが削られていく。
(一概にすべての場所だとは言えませんが)
そんな所を通過していきながらも、自分を無くさず、周りに流されずいる部分があるからこそ個性的だし、特別なんだろう。
個性的になりたいのなら、『自分』であり続けるしかない。
『自分』をどれだけ残せるか、磨いて、伸ばしていけるかが、きっと人を特別にする。
普通というよくわからない概念を自分に取り込んで、『自分』を侵食されないようにして生きていこう。
白玉抹茶パフェ食べたい。
おしまい。
1人でできるもん?
「頑張ってやらなくちゃ」
仕事や活動で何かを任された経験はあるでしょうか?
何かを動かすためには色んなことを誰かがその都度やらなければなりませんよね。
それこそ大きなプロジェクトから、議事録の作成のようなちょっとしたことまで。
任されたから、受けたからには責任を持って最後までやり通さなければならい。頑張って成功させなくちゃいけない。
もちろんそれは自分でやると言ってしまったからには果たさなければならないでしょう。
だけれど、こう考えている方はいないでしょうか。
「1人で頑張ってやらなくちゃ!」
それって本当に1人でできるもんなのでしょうか。
僕は社会人になる前なのでお金を動かすようなお仕事は全くやっていません。ビジコンとかは全く興味ありませんでしたし。
ただインターンシップでとある場所にお世話になっていた時、事業にお金を仕組みを考えてくれというミッションが来ました。
当時は学生のうちから社会人の人たちと一緒になって働いていて調子に乗っていた時期だったので、面白そうですね(何が面白いかもわかっていない)と2つ返事で取り組むことになりました。
けれどそんな自信満々な僕は、お金を回す仕組みなんて事例は知っているけれどどうして成立しているのかなんて考えたこともなく参考になりそうな本や事例をあさりなんとか応用できそうなものを探す日々を続けていました。
企画書の書き方だけでなく、企画の考え方、お金を生み出すやり方なんて全然わからなくて、でも会社にはいかないといけなくて、資料を探すだけで終わって。
これまだあったプライドなんてぼろぼろに崩れていきました。
結局満足な結果を出せなかった僕はそのままインターン期間を終えて、反省会を社員の方と行うことに。社員の方から色んなご指摘を受けて恥ずかしさと悔しさで早く帰りたかったけれど、1人の方が言った「成果を出すことを求められるのに、自信を守るために1人だけでやろうと思ったら満足なものはできないよ」という言葉にハッとさせられました。
その会社にはこれまでお仕事の経験を積まれていた方がそろっていたのに、僕は企画の立て方などをろくに相談もせずにただただ悶々としていました。
言い方は悪いかもしれませんが、そんな人たちをうまく"使う"ことができる自分であれば、また結果は違ったかもしれません。
新しく仕事や活動をし始めた方は特に、組織では当たり前のことから覚えないといけないので仕事のことはそりゃできないこと、わからないこともあります。
そんな中突然お仕事を任されることも多いでしょう。
でも1人で悶々として、全く進まないのなら、
あなたの周りに頼れる人がいれば、会社の同僚でも、友人でも、知り合いでもいいから自分の自信は一旦捨てて恥ずかしくても頼ってみてはと思います。
案外自分だけじゃできなかっためちゃクオリティの高いものができるかもしれませんし、評価もあがるかも。
1人だけで苦しまず、周りの方を巻き込めるコミュ力を!
言葉を選べる人に。
地球にあるほとんどの国にはコミュニケーションを行うための言語(言葉)があります。
お腹減った、寒い、眠い、帰りたい(朝に書いてるのでこんなのしか浮かばない)
など自分の状態を表現したり、
〇〇とはこういうことである。
□□はしたがって××と同義である
考察や、事実を述べたり、
言葉は色んな用途で使われています。
僕たちが住んでいる国でもそれはきっと変わらなくて、このはてなブログやSNS、普段の会話などで色んな言葉が飛び交っていますよね。
ただ、伝えるために使う言葉をうまく扱えない時もあります。
恋人や友人と喧嘩して謝ったのに、余計に相手を怒らせてしまった。
仕事のことで依頼することがあったのに快く引き受けてくれなかった。
なんて経験がおありの方もいるんじゃないかなあと思います。
僕も散々あったので。
ここでひとつ確認していただきたいのが、それ自分が伝えたいことを思い浮かんだ言葉そのままで伝えていないかということ。
言葉って1つ1つが鍵みたいなものだと思っていて(声の抑揚とか表情とかで鍵の形が変わったりもするのだけど)、
自分から出た言葉が相手の人の鍵穴にはまるかどうかで伝わったり、伝わらなかったり(鍵穴に合わないのに無理やり開けようとすることによって傷つけたり、怒らせたり)しちゃう。
だから言葉を発するときは相手のことを思いやらないと、伝わらないことが多い。
「伝える」ことは自分だけで完結せずに、対象となる相手がいて初めて成り立つもの。
あなたが誰かに何かを伝えたいなら、どんな言葉だったら
喜んでくれるかな
許してくれるかな
気持ちよく一緒に仕事できるかな
って一度考えてから、言葉を選んで伝えるようにしてはいかがでしょうか。
ただ、一方的に愛のない言葉で傷つけられたら全力で反撃してボッコボコにしてやれ。
それでは、またね。
癒しを求めて三千里
みなさんこんにちは。
最近ミサイルが発射されるごとに通勤電車が遅れるので怒りを感じているふるふるです。
日本はミサイルが飛んで来ても平常運転でお客様がいる限り通勤するという武士道にも通ずるものがあるからな。
マジで電車遅れるのはだめだぞ。
最近、そういった緊張した状態が近くにあるのでなかなか落ち着かないですよね。
そんな今だからこそ今回は私にとっての桃源郷になりつつある、
名スポットをご紹介したいと思います。
それがこちら。
ドーーーーーーン!!!!!!
お風呂cafe 美肌湯 bijinyu。
静岡県静岡市籠上という地域にある、ツイッターでも話題になっていた銭湯とカフェがフュージョンした無敵の施設。
静岡駅に降り立ち、北口からバスに乗って約15分ほど。
静岡市の数ある名スポットを無視して、
浅間神社近くで降りたい欲をなんとか抑えつけ、妙見下というバス停で降りるともうすぐそこ。
外観は若干こじんまりとしているのですが中身がすごい。
会員カードを即座に取り出して、何時間でも滞在できるフリータイムプランを選択。
料金を支払おうとすると、かわいいお姉さんが「料金は後払いですので」と笑顔で伝えてくれる。危ない危ない。すぐにお金を差し出して終わりにしようとする現代人の悪い癖が出てしまった。
入った瞬間から俗世間とは隔絶されるこの施設でそんな社会の通説は存在しない。
入るにはお金なんて現実は忘れて欲しい、最後にお前が出てくる時に現実に戻って欲しい。
そんなお客様への配慮が感じられる素晴らしいシステムだ。
入館を済ませて、まずはサブイベントである温泉に入ろうと浴場へ。
銭湯部分はというと、普通の温泉に硫黄の温泉、ジェットバスに、サウナ、水風呂とラインナップは一般的なスーパー銭湯とそこまで変わらないか少し種類が足りないレベル。
サウナ入って水風呂、温泉。再び、サウナ、水風呂、温泉の交互浴サイクルをしていると普通に1時間ほどは経過しているので満足して過ごせました。普通に気持ちいい。
脱衣所には牛乳瓶の自販機も完備。本当にわかっているなこの施設は。
日本の伝統文化である牛乳一気飲みもしっかりと堪能できます。
入浴すればあとはもうメイン。
ダラダラするだけ。
ごはんを食べてもよし。
漫画を読んでもよし。
窓の外にある緑を眺めながら横になってもよし。
うたた寝と言わずガチ寝してもよし。
これら以外にも、マッサージ機はついているし
コーヒーとお水は何杯でも無料でお代わりできる。
WiFiとデスクトップPC(Mac)もあるし、コンセントも完備…
最高か…
営業時間も朝10時〜翌日朝9時だし。
もはや宿泊することを前提に設定された営業時間。
スタッフの方の睡眠時間と疲労をむしろこちらが心配してしまうような、忙しい国日本とよばれるこの国でここまで人がダラダラできる空間が家以外にあっただろうかいやない。
仕事で疲れた肉体と精神を休めることができるこのスポットはまさに桃源郷。
人類の天竺。みなが目指すべき楽園(パラダイス)。
現代に現れたノアの方舟。
そういっても過言ではないほどのセラピースポットです。
神奈川から電車で3時間ほどかかるけど気にしない。
途中通過する熱海の景色は最高だし、読む時間ないなと言っていた小説も読める。
関東圏の方は埼玉にもお風呂cafeの1店舗があるみたいなのでぜひ行ってみてください。
私も絶対に行きます。
関西の方は本当にどうしようもないほど落ち込んだり、死にたくなったら富士の樹海なんて行かずに、こっちに行ってみよう。
たぶん1日過ごしたら全部どうでもよくなるはず。
疲れてなくても、静岡観光の一休みにもきっと効くはず。
この施設を生み出してくれた人に圧倒的感謝を申し上げつつ、欲を言えば関西(特に京都)とかに作っていただきたい。確実に通う。回数券も15回分買う。
雑であり、私の気持ちが溢れた紹介となってしまいましたが、本当にこの美人湯はおすすめです。マジで1日ダラダラできる。
ツイッターで以前話題になったからか若い方も多いから10代、20代の人にも安心してくつろげそうだし、内装も綺麗で過ごしやすい。
静岡に行かれる際はぜひに。
今度埼玉のお風呂cafeも行ったらどんな違いか書こう。
http://ofurocafe-bijinyu.com/lounge
それでは、皆様良い休日を。
Step by Step
みなさんこんにちは。
やっと最近になって東京観光をしたふるふるです。
東京の人の多さと、建物の高さに圧倒されていつか家族ができたら田舎へ引っ越してゆっくり暮らそうと心に誓いを立てました。
今回のお話は、いわゆる意識高い系がテーマです。
といっても、知識だけ自慢げにひけらかし、自分がしたことでもないのに自慢げに周りのすごい方のことをさも自分がすごいことのように語り散らす自意識高い系ではなく。
目標、意識を高く置いてそこに向かっていく意識高い系の人のことです。
そういった人たちを対象に、このままでいいやと停滞を望んで行動する人とでは何が違ってくるのかを考えてみました。
どちらがいいとかは関係なく、意識をどこに持っていくのかで違いはでてくるのかを頭の中で妄想してみてこうなるんじゃないのかなーって感覚で書いているだけです。
それでは例え話で見ていきましょう。
同じ会社に勤める同期のAさんとBさんは同じ営業部署に配属されて半年ほど。
仕事にも慣れてきて、ノルマを自分たちで決めて達成するように指示を受けています。
Aさんは仕事に対して自分を高めて行こうと前向きで、ノルマの目標を高くしてそこに向かって日々一生懸命です。対象的にBさんは仕事はお金を稼ぐための手段としてプライベートを重視し、最低限の働きができればいいかなと思っています。
月が変わって、先月の成績が営業部門に共有されました。
Bさんはそこそこの成績で及第点といったところ。Aさんは、目標にしていたX額には及びませんでしたが、同期の中ではトップランクのY額を達成。
上司からも期待をかけられ、今月のAさんたちの同期のノルマはY額にするぞと通達が。
正直迷惑だとBさんは思いながらも、Y額を達成したAさんの方法は近くで見ていたのでなんとかなるだろうと考え、仕事が終わるなり夜の街へと消えていきました。
今月末になり、自分の成績がほぼ確定したBさんはかなり焦っていました。
Aさんと同じようなスケジュールと方法で勤務をしていたにも関わらず、成績は先月とほとんど変わらない数字になってしまいました。
Aさんは先月の目標でもあったX額を少し上回る成績でトップに。
何が2人の違いを生んだのか。
1つの妄想ですし、こんなに明確に差が出るのかはわかりませんが2人の思考と行動には差があったと確実に言えると思います。
Aさんの先月の達成額を目標とした、Bさんではありましたが、本当にAさんがY額を達成した際の行動をとることができていたのでしょうか。目標は同じでも、考え方と見えかたは違っていたと思います。X額を目標にして達成するための行動を重ねていたAさんと、自分が見える部分だけでAさんの真似をしてY額を達成しようとしたBさんでは結果が異なることは当たり前です。
これでいいだろうと思考をほとんど放棄して、誰かの真似をしてその人の成果をもう一度だそうとしても難しい。その人が見ていた景色と、行動を本当の意味では理解できていないのだから当たり前です。
停滞を選択したり、怠惰になってしまうとその時点で少なくとも”このまま”は続かなくなってしまいます。同じ結果を求めようとしても、全く同じプロセスを踏むことは不可能ですし、自分が思った通りに事が運ぶことはない。いろんな要素が絡まりあってその時々の結果を生み出すことになるので。
意識をどこに持っていくかで、結果を達成するための行動は変わっていくし、変えていかないと結果は出せない。このままでいいやと思うのなら、退化することは覚悟しないといけいない。
自分がどうりたいのかを明確にしていくことで、意識のありかを定めていきたいものですね。
意識高いこと書いてしまったーーーーーー!!!!
鳥肌がでてうずうずするのでこの辺りで失礼します。
最近銭湯にはまっているのですが、サウナに入ってからの水風呂とお風呂の交互浴が最高に気持ちいい。
交互浴については、ライターのヨッピーさんという方が記事をお書きになっているので気になる方は一度ご覧ください。
勝手に紹介してごめんなさい。
じゃあね。
孤独になる意味。
仕事とか、アルバイトか、ボランティアとか色々動き回っている人にこそ考えて欲しいことを書きます。
最近、独りになってますか。
孤独という意味ではなくて、自分のことだけを考えている時間があるかということです。
誰かとおしゃべりしたり、美味しいものを食べている時間は幸せだけど、
独りになって、自分のことをいつもより少しだけ考える時間もとってほしい。
自分が今のことに対してどう思っていて、何が好きかとかちゃんと知ってあげて欲しいです、
夜の散歩とか、お風呂に浸かっている間とか、不安に思っている自分や、こう思わないといけない自分に出会うかもしれません。
何がそういう自分にさせているのかを見つめることで、きっとこれからすべきことが見えてくるはず。寂しい自分に気づくだけでも、きっといつもより晴れやかになれるはずだし、やるべきことがわかるはず。
あなたの人生を生きるために、あなたと向き合う独りの時間をつくってほしいと思います。
大人になったら何になりたい?
みなさんこんにちは。
最近花火を見たい&したい欲が臨界点を突破しそうなふるふるです。
もうすぐ夏終わっちゃうね。寂しいな。
さて、今回は「大人」について書いてみたいと思います。
僕自身も世間一般というか、子どもからは充分に大人と呼ばれてもおかしくない年齢になってしまいました。
若い世代と呼ばれるのもあっという間なのだろうなんでしょうね。
そんなことを考えていると、ふと自分が子どもの時って大人をどんな風にイメージしていたのかなって思うんです。
僕の将来の夢は小学校当時、司書さんだったので(本と、その匂いに囲まれて生きたいと思っていました)、それだけでも大分と思い描いていた将来とは離れています。
漠然と大きくなったらこうなるんだろうなって考えで子ども時代は生きてきましたし、遊ぶことと苦手な英語をいかに耐え凌ぐかで頭がいっぱいだったので将来のことは将来に任せようというスタンスでした。
中学、高校に入っても大人に近づいたとはいえそこまで変わらず。目の前の青春時代を謳歌するのと、暇をつぶすことで手一杯でした。
なぜかわからないですが、大人になるとなんとかなるだろうという希望的観測しか当時はありませんでした。
大学生となり、いよっしゃあー人生最後の夏休みだ思いっきり遊び倒すで!と構えていた僕でしたが、たくさんの社会人の方とご縁をいただきお話を伺っていると危機感が一気に出てきました。
大人になったらゲームみたいに進化したりレベルアップしたりして、社会で働くんだろうという感覚で生きてきた自分の甘さを痛感しました。
そんなわけがない。
今の積み重ねが、よくわからない「大人」の自分を生み出していくのに。
将来に期待して時間に身を任せていくだけじゃ一歩も動いていないのと同じだ。
目的地だけあって立っていてもテレポートなんかできないし、ずっとスタート地点から動こうともしない。
なりたい「大人」の像があるのなら、少しでも前に進むために道だけでも見つけていかないと。
こんなはずじゃなかった、なんて情けない愚痴しか出ないと思います。
希望に溢れた気持ちだけでもきっと足りない。現実を歩く覚悟と、実際に歩いていける実力をつけること。
子どもに夢を見せられる大人になるように、ちょっとずつ頑張ろうっと。
関西に帰りすぎていると色んな人に突っ込まれるふるふるでした。
人恋しいよね。