「地域活性化」の盛り上がりの違和感
こんにちは!
夏の甲子園高校野球が終了して一気に夏の終わりを感じています。
学生生活最後に見に行きたかったと後悔もありますが、見に行ってたら暑さで倒れている気もするし、でもやっぱり見に行きたかった…
さて、今回のテーマは「地域活性化」です。
最近よくこの言葉を見かける気がします。
政府が「地方創生」というスローガンを掲げ、地域の活性化と人口の減少を食い止めるために動き出したことはちょっと前の事。
それからというもの、まちづくり、地域の情報発信、ローカルウェブマガジン、コミュニティデザイン、地域コンサルティング、LO活など私たちの生活に「地方」「ローカル」という産業がぐっと近づいてきました。
私たち学生の中でも地域を元気にしたい、これからの日本の課題を解決したいという志をもった方も増えてきているのではないかと思います。
でも、「地域活性化」という言葉を見るたびに思うのです。
地域の活性化ってなんなの?
理想と現実
PR動画、イベント、特産物の創出、施設の建設、コミュニティの強化、WEBの充実etc…
私が知っているものでも数々の手法によって「地域活性化」が行われてきました。
地域の情報を発信することで都会に住む人たちに興味をもってもらう、
魅力的なモノを創出することで地域に価値を生み出す、
地域集落の課題である弱くなったコミュニティを再生する。
それぞれの手法だけ、結果を残していると思います。
ただ、それって本当に活性化につながっているのかという捻くれた考えをもってしまうのです。
地方行政、自治体が抱えている課題を外部に委託してお金をかけて、地方にはお金が落ちないような仕組みでいいのか。
観光客がくることはいいけれど、そもそもそこに住んでいる人たちの気持ちを考えているのか。
若者を呼ぶだけ呼んでどうにかなる地域なのか。
要するに、地域の意思決定を実際に住んでいる人たちをほって盛り上がっている事業が多いのではないかということです。
もちろん、その場所にどのような課題があり、どのような手法をもって解決すればいいのかということは考え、論じているとは思います。
いちいち住民全員に意見を聞いていては課題解決に踏み出せないということもあるでしょう。
しかし、かっこいいHP、動画、魅力的な価値をもつ特産物、人が集まるイベントなど
それらの解決策には本当に課題の解決というゴールを切る力があるのでしょうか。
理想的なものをつくっても、現実ではそれらは本当に必要とされているのかをもう一度考える必要があるのではないのかなあと常々考えてしまうわけなのです。
「地域」を作りだすもの
「地域活性化」を考えるためには、もちろんその地域が抱えている課題があるはずですからそれらを整理し、原因を調査し、環境を考慮して、解決にあたる必要があると思います。
だからこそ一番見るべきなのは、「地域」に住む「人」なのではないでしょうか。
「地域」を作りだしているのはそこに暮らす「人」であると私は思います。
生活をしている「人」がいるからこそ、自然は活用され、建造物は価値を持ち、暮らしが生まれるからです。
ですから「地域活性化」とは、その「地域」に暮らす人たちの生活を豊かにしていくことではないかと私は考えています。
大切なことは、外の人が一方的に地域のことを決めつけずに、時間をかけて地域住民と一緒に根本的な問題に取り組むことではないでしょうか。