furufur’s blog

日々の書き溜め。所属している団体、組織には一切関係ないよ。

大人になったら何になりたい?

みなさんこんにちは。
最近花火を見たい&したい欲が臨界点を突破しそうなふるふるです。

 

もうすぐ夏終わっちゃうね。寂しいな。

 

さて、今回は「大人」について書いてみたいと思います。


僕自身も世間一般というか、子どもからは充分に大人と呼ばれてもおかしくない年齢になってしまいました。
若い世代と呼ばれるのもあっという間なのだろうなんでしょうね。
そんなことを考えていると、ふと自分が子どもの時って大人をどんな風にイメージしていたのかなって思うんです。

 

 

僕の将来の夢は小学校当時、司書さんだったので(本と、その匂いに囲まれて生きたいと思っていました)、それだけでも大分と思い描いていた将来とは離れています。

 

漠然と大きくなったらこうなるんだろうなって考えで子ども時代は生きてきましたし、遊ぶことと苦手な英語をいかに耐え凌ぐかで頭がいっぱいだったので将来のことは将来に任せようというスタンスでした。
中学、高校に入っても大人に近づいたとはいえそこまで変わらず。目の前の青春時代を謳歌するのと、暇をつぶすことで手一杯でした。


なぜかわからないですが、大人になるとなんとかなるだろうという希望的観測しか当時はありませんでした。

 

 

大学生となり、いよっしゃあー人生最後の夏休みだ思いっきり遊び倒すで!と構えていた僕でしたが、たくさんの社会人の方とご縁をいただきお話を伺っていると危機感が一気に出てきました。

 

大人になったらゲームみたいに進化したりレベルアップしたりして、社会で働くんだろうという感覚で生きてきた自分の甘さを痛感しました。
そんなわけがない。
今の積み重ねが、よくわからない「大人」の自分を生み出していくのに。
将来に期待して時間に身を任せていくだけじゃ一歩も動いていないのと同じだ。
目的地だけあって立っていてもテレポートなんかできないし、ずっとスタート地点から動こうともしない。

 

 

なりたい「大人」の像があるのなら、少しでも前に進むために道だけでも見つけていかないと。
こんなはずじゃなかった、なんて情けない愚痴しか出ないと思います。

希望に溢れた気持ちだけでもきっと足りない。現実を歩く覚悟と、実際に歩いていける実力をつけること。

 

 

 

子どもに夢を見せられる大人になるように、ちょっとずつ頑張ろうっと。

 

 

 

関西に帰りすぎていると色んな人に突っ込まれるふるふるでした。
人恋しいよね。