furufur’s blog

日々の書き溜め。所属している団体、組織には一切関係ないよ。

最後の晩餐に何を食べたいか考えました。

地球最後の日に何を食べるだろうか。

 


いや食べている場合じゃないかもしれないんだけど、もし明日地球が滅亡することが朝起きたらニュースでやっていてもうどうしようもなかった時。

絶望すぎる。

 

ただぐだぐだ言っていてもしょうがない、だって終わるんだもん。

 


地球終わっちゃうよ?そんなこと言っている間に。
最後の晩餐を何にするのか決めないと、イオン混んじゃうから早く決めないと。

 

 

 

とは言っても、そんな状況にもし置かれたら僕は冷静に何が食べたいかを選択できるだろうか。


ここでは最後の晩餐は慎重に選ばないといけない。

 


にもかかわらず、食べたことのないもの、例えばキャビアとかフォアグラとか食べたいと言い出す人はもう信用できない。


確かに興味はある。

どんな味がするのか、どうせだったら最後に食べておきたい。

 

わかるとも、僕だってそう最初に思った。
ただ考えてみてほしい。

 


地球が終わるのだ。

 

明日には。

 

0時00分にきっかり終わるのかはわからないのだが先に続かないのである。

ここで得た経験はもう使えない。たとえ美味しくて、

 

「すごく美味しい〜。

もう一回食べたい!あ、インスタのせよっと♫#最後の晩餐#最後に#キャビア#食べた#味わからん笑#集まれんかった人も#今度は全員で行こ#地球明日で終わるの忘れてた笑」

 

となってももうだめ、誰も見ていない。

 

最後の晩餐ハッシュタグなんて誰が見るのか。

 

それに、万が一自分の口に合わなかった時はもっと悲惨だ。最後に食べるものが、どんな味だろうと楽しみにしていたらまさかこんなにまずいとはと絶望しながら終わりを待つしかない。

 


僕の個人的解釈を述べさせてもらえるなら、これは死装束と似たようなものだ。

 

終わりへの気持ちを整えるための食事。

 

言わば死に食。

 

穏やかな気持ちで最後を迎えるための食事が、食べたことのないものというよくわからなないものでいいのか、いやいいはずがない。

 

 

だが23年間生きてきた僕の貧相な人生でも、食べてきた食事の数は膨大な量になる。

 


朝昼晩と食事を摂っていれば、単純計算で一年間で1095食。23年間で25,185食だ。もう昔のことは全然覚えていないが、とにかくこれまでの経験から最適な答えを導き出さなければならない。

 


特定の店の食べ物はもう食べられない、もう営業していないだろうし場所的に無理なところが多い。


だとすると絞られるのは、身近な誰かに作ってもらった、もしくは自分で作った料理だろう。

 

存命している家族であれば最後となればなんとか作ってくれるだろうし、自分であれば材料さえ揃っていればつくることができる。

 

解が見えてきた。あとは示されたピースを選ぶのみ。

 

 

カレー、シチュー、オムライス、ハンバーグ、卵焼き、おにぎり、焼き鳥、お寿司、焼肉、ロールキャベツ、ラーメン、餃子、炒飯、パスタ、ドリア、茶碗蒸し、エビチリ、海老マヨ、鮭の塩焼き、ブリの照り焼き、さんまの塩焼き、竹輪の磯辺揚げ、たこ焼き、お好み焼き、うどん、そば、天ぷら、パンケーキ、煮物、コロッケ、シーザーサラダ、ナン、コールスローハンバーガー、ポテトサラダ………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無理だ。

 

 

決められない。

最初カレーを書いた時点で決まったと思ったが海老マヨを書いたあたりから全て食べたくなってしまった。


もうバイキングがいい。最後の晩餐は。

 

これまで食べてきて美味しかった料理をバイキング形式にしてほしい。5星ホテルの料理人が集結して地球最後の晩餐バイキングを企画してほしい…

 

ということで地球が滅亡する時に食べたい最後の食べ物は、バイキング形式で気になるものを好きなだけ食べることにした。
最後なんだから、美味しいものを食べて満足したいし一つに絞るとか無理無理。
みんながそれぞれ食べたいものを食べれたら良いよね。

 

 

 

 

 


解散!!