特別になりたくて個性を追い求めた18の夜
「個性的な人になりたい」
高校という枠でくくられて、ルールで縛られていた時に出会った同級生を見ていていつも思っていた。
その子は特段勉強ができるわけでもなかったけれど、自分なりに友達のことや、将来のこと、社会のことを考えて話ができる、当時の僕からすれば眩しい人だった。
その友人のことを、
「やっぱり〇〇くんは個性的でおもしろいよねー」
と、クラスメイトたちは褒めたり、時には妬みの声もあったりしたけれど慕っていた。
自分もあんな風になりたい。
ちやほや、モテモテになりたい。
などと理想を描いたものの、結局のところ僕は周りに流されるまま高校を卒業して今にいたる。
あの頃より少しは見える景色も広がって、考えることも多くなった今ではかつての友人はきっと『自分』というものを見失わかったらこそ個性的で、特別だったのだろうと思う。
小学校、中学校、高校、大学、会社と僕たちが通過するところには余分だとされふものを削ぎ落としていく濾過器
のようなものが設置されていて『自分』という尖ったり、丸くなったりしているところが削られていく。
(一概にすべての場所だとは言えませんが)
そんな所を通過していきながらも、自分を無くさず、周りに流されずいる部分があるからこそ個性的だし、特別なんだろう。
個性的になりたいのなら、『自分』であり続けるしかない。
『自分』をどれだけ残せるか、磨いて、伸ばしていけるかが、きっと人を特別にする。
普通というよくわからない概念を自分に取り込んで、『自分』を侵食されないようにして生きていこう。
白玉抹茶パフェ食べたい。
おしまい。