アイデアの可能性は、誰が決めるのか
「あの課題難しかったよなー、みんなしゃべるのはいいけどアイデアまともなの全然でなかったわ(笑)」
11月に入り、少し肌寒さが身にしみて冬を感じ始めたころ。
少し時間を潰そうと、みなとみらいにある蔦屋書店でココアを飲みながら本を読んでいると、就活生だろうか。いかにも慣れないスーツを着こなしている感覚の男女5人が談笑している姿がふと目に止まった。彼らは僕の近くの席に座ると、各々自分が行ったインターンはどうだったとか、イケメンや可愛い子が多かったとか情報交換を始めた。自分にもあんな時期があったなと、少し過去のことを思い出しながら目の前の本の世界に戻る。ただ、
1人の男の子が笑いながら話した、その言葉にまたも思わず顔をあげてしまった。
本の中に再び潜ることを忘れた僕の頭は、やたらとアイデアワークを繰り返していた就職活動のことを思い返していた。
「〇〇の課題を解決するアイデアを考えてください」
面接官からワークのテーマを発表されると、4人1組に分けられたグループが我先にと動き出す。
タイムキーパーは私が、議事録は僕が書きます、進行役はじゃあ私がするね。
各々の役割が決まっていけば議論が進み、テーマに沿ったアイデアを出し合う。
定められた短い時間内にいかに多くのアイデアを出して、選別し、発表の体裁を整えるのか。
戦場のように方々から声があがり、鬼気迫る表情を隠しながらも笑顔で人の話を聞いて話を膨らませていく。その中に自分がいることが当たり前だと当時は思っていたし、ある程度の役割はこなしていたのだから今では違和感しかない。
それでも一貫して自身の役割は聞き役であり、整理することと割り切ってアイデアを出すことからは一線を引いていたのだけれど。
昔からアイデアを出すということが苦手だった。
そういうのはいつも、人気者の役割というかセンスのある子の役割で、自分の意見はどちらかといえば面白みのない現実的なものしか思い浮かばない。
大学生になってボランティア活動をしたり、インターンを行う中でアイデアを求められても今ひとつだった。
よく言われているのはアイデアというのは、既存の組み合わせだというもの。
気取った言い方をすれば知識というピースをあつめて、経験という感覚によって一見新しい絵をつくるようなものだと思う。
今だと少しはその意味が理解できるけれど、当時は面白いものを考えないといけない、突発したものはないかと悩んで思考が停止していた。自分の中にある知識だけで思いつくはずもないのに、特に調べもせず、相談もせずにいつか思いつくのではないかと、誰かがなんとかしてくれるのではないかと甘えていた。
案の定、その時に提出したなけなしの思いつきは採用されることなく大目玉をくらったのだけれど。
失敗から落ち込んでアイデアを出すことに臆病になりはしなかったけれど、アイデア恐怖症はなかなか治らなかった。
時が流れて一応就職先も無事に決まって就活が終わり、自分の研究もある程度ゴールが見えてきたころ。
お世話になったある人と少しだけお話をする機会があった。飲みに行ったわけではないし、お互いシラフだったが不思議と会話が弾んだ。
自分が興味のある広報や広告の話をすると、当たり前のように最近のCMについてや、好きな広告ってなにかあるかという話を広げてくれる。
就職活動を通して求められている回答をしなければならないという思考回路に陥っていた当時の僕は、自分の好きなことを話すことにかなり飢えていたのだろう。
「これについてどう思う?自分やったらどうするかね?」
自然と話しを振られたことに対して自分なりの答えを返す。今の自分では実現不可能なことを偉そうに意見として述べたのだが、話してすぐに後悔した。
自分や今の組織ではできないこと、妄想を話してしまったことがすごく恥ずかしかった。すぐに「まあそんなことできないですけどね(笑)」と取り消そうと言葉を紡ぐも、返ってきたのは「いやできるんちゃう」という当たり前のことに対して反応したような、なんの嫌味もない言葉だった。意外そうにしている僕の顔を見てどうしんや?と聞いてくれたその人に、意見というかアイデアを出すのが苦手で、妄想みたいなことを話してしまったことが恥ずかしというか、ということをポツポツと話した。「なるほどな。アホやなお前(笑)」と一笑されてしまう。
自分としては結構な悩みだったのだがと思って、少し苦い顔をしていると苦笑しながらわからんでもないけどと続けてくれた。「君の場合は、実現できるかにこだわりすぎや。そのくせ結果は求めるもんやから突拍子もないことを思いつきたいから考えるけど、こだわりがそこにあるから抜け出されへんのちゃうか」知識を求めないことは論外やけど。と、優しくも厳しい話になんだか拍子抜けしたような気が抜けたような感覚を覚えている。
「月並みかもしれないけど、まずはできるかできないかよりはこれやったらもっと便利になるんじゃないか、誰かの幸せになるんじゃないかって視点で考えてみたらいいと思う。そこからそれを実現するためには何が必要なのかを考えて行けばいいいんちゃうかな」
「でも、それだとただの妄想や夢物語で終わってしまってビジネスじゃ通用しないんじゃないですか?」自分の悩んでいたことが少しずつ解れていくことを感じながらも、これまでの考えが間違っていたのではないかと言われているようで反感を覚えた。年下の僕が生意気な態度で噛み付くことにも嫌な顔をせずその人は、一言。
「じゃあ、それって誰が妄想や夢物語にしたんや?」
「自分の可能なことだけでアイデアを語るな、考えるな。もっと自由で楽しくていいんや。思いついたことを可能にするのはお前だけじゃないやろ。お前の狭い可動域でおもろい企画なんて思いつかんわ。HPを作るWebデザイナー、家を作る大工のおっちゃん、難しいことを簡単に教えてくれる学者さん。世の中にはたくさんのプロがおってそれぞれが協力してできることがやまほどあるんや。プロの可能性を舐めたらあかんよ」
そら突拍子もないアイデアを出したら怒られるかもしらんけどな、最後に笑いながらオチをつけて照れを隠すようにタバコに火をつけて紫煙を吹いた。少し,
考えるようにして、たばこの火を灰皿に落とす。
「でも、誰かに相談してこんなことをできるんじゃないかって話をしたら、もっとこうしたらいいとか、これは今やと難しいけどこんなこともできるんじゃないかって助言をくれる人もおるよ。そいつが本気で面白そうやからやってみたいっていう顔をしていたら自然と助けてくれる。っていうか俺もそれやりたいなって思いが自然と湧いてくるもんちゃうかな。そうやって周りを巻き込んでいったら自然と、今できることの最高なアイデアの実現可能性なんて高まっていくもんやと俺は思う。」
だから、これからも色んなことを考えて、色んな人と出会って、おもろいもんをたくさん生み出せるようになりや。タバコをふかしておどけるように笑うあの人の目が、しっかりと僕を見ていたことを今でも忘れない。
あれから自分なりに知識を少しは増やして、こんなことあったら面白いなということを休日には自然と考えるようになった。仕事として実現するにはまだチャレンジできていないけれど。
社会を変えるとか、生活を支える思いつきというのは知識や経験に裏付けされているのはもちろんだけれど、そこには実現できるかどうかよりも何かしらの想いが先にあったのではないかと思う。1人だけでない、周りの人たちがそこに賛同して磨いて、形を整えていったからこそできたものが今の素晴らしいとされるアイデアなのではないかと思う。
次のインターンシップの話をしている彼らの姿を横目に見ながら、あんなことに悩んでいた自分と比べるとそうやって色々な話ができているようで羨ましい、ついでに年を交換してもう一度大学生に戻りたいと卒業して半年ほどしか経ってないのに思ってしまう。
待ち合わせの時間にも少し遅れそうだったので、勢いで飲み干そうとしたがほとんどすでに残っていなかったココアに物足りなさを感じながら、スタバを後にする。
カップルで溢れかえっていた観覧車の前を通りながら、全員別れろと気持ちを強くもって帰る。
アイデアを考えることは難しいし、形にすることは言わずもがな。
ただ、実現できるのかどうかで考えている限りは中々先へは進めない。実現可能性を測っているのは自分のまだまだ足りていない物差しにしか過ぎないと思うから。
あなたの思いつきが、社会をワクワクさせるものになるかもしれない。
僕のように奥手な人で、考えるのも苦手だし、人に相談するのも苦手な人にこそ一度チャレンジして欲しいので書きました。
一回だけでいいから本気で実現させようと思ってやってみると、案外うまくいくかもしれないし、だめかもしれない。
どうしてもダメだと思ったらやめればいいし。アイデアを思いつくことだけが至高ではないしね。
どうにも終わりが締まらない。
それでは、寒さに気をつけて。
めちゃくちゃどうでもいいけど、
この間豚キムチチーズ焼うどんを食べたらめちゃくちゃ美味しかったです。
さようなら。