Step by Step
みなさんこんにちは。
やっと最近になって東京観光をしたふるふるです。
東京の人の多さと、建物の高さに圧倒されていつか家族ができたら田舎へ引っ越してゆっくり暮らそうと心に誓いを立てました。
今回のお話は、いわゆる意識高い系がテーマです。
といっても、知識だけ自慢げにひけらかし、自分がしたことでもないのに自慢げに周りのすごい方のことをさも自分がすごいことのように語り散らす自意識高い系ではなく。
目標、意識を高く置いてそこに向かっていく意識高い系の人のことです。
そういった人たちを対象に、このままでいいやと停滞を望んで行動する人とでは何が違ってくるのかを考えてみました。
どちらがいいとかは関係なく、意識をどこに持っていくのかで違いはでてくるのかを頭の中で妄想してみてこうなるんじゃないのかなーって感覚で書いているだけです。
それでは例え話で見ていきましょう。
同じ会社に勤める同期のAさんとBさんは同じ営業部署に配属されて半年ほど。
仕事にも慣れてきて、ノルマを自分たちで決めて達成するように指示を受けています。
Aさんは仕事に対して自分を高めて行こうと前向きで、ノルマの目標を高くしてそこに向かって日々一生懸命です。対象的にBさんは仕事はお金を稼ぐための手段としてプライベートを重視し、最低限の働きができればいいかなと思っています。
月が変わって、先月の成績が営業部門に共有されました。
Bさんはそこそこの成績で及第点といったところ。Aさんは、目標にしていたX額には及びませんでしたが、同期の中ではトップランクのY額を達成。
上司からも期待をかけられ、今月のAさんたちの同期のノルマはY額にするぞと通達が。
正直迷惑だとBさんは思いながらも、Y額を達成したAさんの方法は近くで見ていたのでなんとかなるだろうと考え、仕事が終わるなり夜の街へと消えていきました。
今月末になり、自分の成績がほぼ確定したBさんはかなり焦っていました。
Aさんと同じようなスケジュールと方法で勤務をしていたにも関わらず、成績は先月とほとんど変わらない数字になってしまいました。
Aさんは先月の目標でもあったX額を少し上回る成績でトップに。
何が2人の違いを生んだのか。
1つの妄想ですし、こんなに明確に差が出るのかはわかりませんが2人の思考と行動には差があったと確実に言えると思います。
Aさんの先月の達成額を目標とした、Bさんではありましたが、本当にAさんがY額を達成した際の行動をとることができていたのでしょうか。目標は同じでも、考え方と見えかたは違っていたと思います。X額を目標にして達成するための行動を重ねていたAさんと、自分が見える部分だけでAさんの真似をしてY額を達成しようとしたBさんでは結果が異なることは当たり前です。
これでいいだろうと思考をほとんど放棄して、誰かの真似をしてその人の成果をもう一度だそうとしても難しい。その人が見ていた景色と、行動を本当の意味では理解できていないのだから当たり前です。
停滞を選択したり、怠惰になってしまうとその時点で少なくとも”このまま”は続かなくなってしまいます。同じ結果を求めようとしても、全く同じプロセスを踏むことは不可能ですし、自分が思った通りに事が運ぶことはない。いろんな要素が絡まりあってその時々の結果を生み出すことになるので。
意識をどこに持っていくかで、結果を達成するための行動は変わっていくし、変えていかないと結果は出せない。このままでいいやと思うのなら、退化することは覚悟しないといけいない。
自分がどうりたいのかを明確にしていくことで、意識のありかを定めていきたいものですね。
意識高いこと書いてしまったーーーーーー!!!!
鳥肌がでてうずうずするのでこの辺りで失礼します。
最近銭湯にはまっているのですが、サウナに入ってからの水風呂とお風呂の交互浴が最高に気持ちいい。
交互浴については、ライターのヨッピーさんという方が記事をお書きになっているので気になる方は一度ご覧ください。
勝手に紹介してごめんなさい。
じゃあね。
孤独になる意味。
仕事とか、アルバイトか、ボランティアとか色々動き回っている人にこそ考えて欲しいことを書きます。
最近、独りになってますか。
孤独という意味ではなくて、自分のことだけを考えている時間があるかということです。
誰かとおしゃべりしたり、美味しいものを食べている時間は幸せだけど、
独りになって、自分のことをいつもより少しだけ考える時間もとってほしい。
自分が今のことに対してどう思っていて、何が好きかとかちゃんと知ってあげて欲しいです、
夜の散歩とか、お風呂に浸かっている間とか、不安に思っている自分や、こう思わないといけない自分に出会うかもしれません。
何がそういう自分にさせているのかを見つめることで、きっとこれからすべきことが見えてくるはず。寂しい自分に気づくだけでも、きっといつもより晴れやかになれるはずだし、やるべきことがわかるはず。
あなたの人生を生きるために、あなたと向き合う独りの時間をつくってほしいと思います。
大人になったら何になりたい?
みなさんこんにちは。
最近花火を見たい&したい欲が臨界点を突破しそうなふるふるです。
もうすぐ夏終わっちゃうね。寂しいな。
さて、今回は「大人」について書いてみたいと思います。
僕自身も世間一般というか、子どもからは充分に大人と呼ばれてもおかしくない年齢になってしまいました。
若い世代と呼ばれるのもあっという間なのだろうなんでしょうね。
そんなことを考えていると、ふと自分が子どもの時って大人をどんな風にイメージしていたのかなって思うんです。
僕の将来の夢は小学校当時、司書さんだったので(本と、その匂いに囲まれて生きたいと思っていました)、それだけでも大分と思い描いていた将来とは離れています。
漠然と大きくなったらこうなるんだろうなって考えで子ども時代は生きてきましたし、遊ぶことと苦手な英語をいかに耐え凌ぐかで頭がいっぱいだったので将来のことは将来に任せようというスタンスでした。
中学、高校に入っても大人に近づいたとはいえそこまで変わらず。目の前の青春時代を謳歌するのと、暇をつぶすことで手一杯でした。
なぜかわからないですが、大人になるとなんとかなるだろうという希望的観測しか当時はありませんでした。
大学生となり、いよっしゃあー人生最後の夏休みだ思いっきり遊び倒すで!と構えていた僕でしたが、たくさんの社会人の方とご縁をいただきお話を伺っていると危機感が一気に出てきました。
大人になったらゲームみたいに進化したりレベルアップしたりして、社会で働くんだろうという感覚で生きてきた自分の甘さを痛感しました。
そんなわけがない。
今の積み重ねが、よくわからない「大人」の自分を生み出していくのに。
将来に期待して時間に身を任せていくだけじゃ一歩も動いていないのと同じだ。
目的地だけあって立っていてもテレポートなんかできないし、ずっとスタート地点から動こうともしない。
なりたい「大人」の像があるのなら、少しでも前に進むために道だけでも見つけていかないと。
こんなはずじゃなかった、なんて情けない愚痴しか出ないと思います。
希望に溢れた気持ちだけでもきっと足りない。現実を歩く覚悟と、実際に歩いていける実力をつけること。
子どもに夢を見せられる大人になるように、ちょっとずつ頑張ろうっと。
関西に帰りすぎていると色んな人に突っ込まれるふるふるでした。
人恋しいよね。
助けを求める勇気。
仕事をするようになって、平日の朝はスーツ姿の大人たちで溢れかえるイメージが植え付けられた。怠そうに歩く人、眠たそうに目をこすりながらコーヒー缶を片手にしている人、生き生きと背筋をピンとして歩く人などたくさんの大人たちが電車に乗って職場へと向かう。
僕もその末席にいる者として、その日も職場へと向かうため早朝の電車に乗りこんでていた。大阪にいたころと違い、東京へと向かう電車はいつ乗っても満員だ。ほとんどのビジネスマンが席に座って少しの睡眠時間を確保している中、珍しく1つの席が空いていた。他に立っている人も近くにいなかったので遠慮なく座ることにした。職場近くの駅までは30分ほど。いつものように音楽を聴きながら、力を抜いて周りの人のように眠気に身を任せた。
意識を手放して乗り過ごしてしまわないように、うつらうつらとしながら米津玄師のピースサインを聞いていた時だったと思う。「すいません」と消え入るような声が聞こえてた気がした。まだぼんやりとした夢の中にいた僕はすぐに気づくことができず、もう一度声をかけられてようやっと顔をあげると申し訳なさそうにしているおばあさんが目の前に立っていた。少し困ったような笑顔で僕に向かって、赤字に白くハートマークと十字が描かれたカードを見せてくれた。眠気が一瞬で吹き飛び、おばあさんの言わんとしていることを理解できた僕はすぐに立ち上がって席を譲った。「ありがとうございます」と今度はすっきりとした笑顔に、僕は反対に苦笑いを返すことしかできなかった。
目的の駅に着いて職場へと向かう間、ずっとあのおばあさんのことを考えていた。
ヘルプマーク。少し前にSNSで話題になっていたからたまたま知っていたけれど、関西ではほとんど見たことがなかったので慌ててしまった。席を譲ることはなんとかできたけれど、なんとも言えないしこりが残っている。関東での認知度はどれほどなのかわからないが、関西では知らない方も多いような気がする。もしあの人がどこあ遠い場所に行って、同じような行動を起こしても訝しがられるだけかもしれない。困ったような笑顔で、ずっと立つことになるかもしれないと考えると嫌になる。自分から助けを求めることの葛藤や、受け入れてもらえるかわからないといった不安。いくら提示できるものがあるといっても、行動に移すまでには勇気がいることだと思う。その勇気に応えられる人になれるように、少しでも多くの方に知っていただきたいと思います。
困っている人がいれば助け合う。助けを求める勇気に答えられるようになりたいものです。
『ヘルプマーク』は、一見してわからないしんどさを抱えている方が所持しています。現状は東京周辺でしか申請することができず、関東での利用者がほとんどです。
ただ、関東に関係なく公共交通機関、施設などでもし持っている方を見かけて困っていそうだったら一声かけて助け合うことを忘れないでほしいと思います。
助けを求める勇気に答えられるように、少し照れくさいながらも手を差し伸べられる光景が当たり前になりますように。
郷愁
また帰ってきてしまった。
夏休みをいただいて、嬉々として実家へ帰ってきた僕が冷静になったときに頭をよぎったのはこの言葉だった。実家を離れて4ヶ月。ホームシックになったように1月に一度は田舎に帰る僕は間違いなくホームシックだと言われても反論できない。
自覚はないのだけれど、無意識に慣れ親しんだ故郷に帰りたいと感じているのは間違いない。
実家の居心地はすこぶる良いし、仲の良い友人もいる。東京での1つのきっかけもあり、今回の帰省は特に生まれ育った土地で暮らすことの安心感を感じさせられる時間だった。
比べるべくもないが、僕の実家がある田舎と現在住んでいる神奈川の家とでは人口密度がまるで違う。見渡しても田んぼも畑ももちろん無く、むしろ30階建ての高層マンションがそびえ立っている。そんな風景ばかり見ていると息苦しさというか、気持ちが閉じていく感覚を覚えてくるもの。
休日を利用してそんな気持ちを払拭しようと東京の皇居外苑の緑があふれるところでリフレッシュを図っていた時に、僕はじわじわと違和感を覚えた。
周りには木々が生え揃い、芝生は柔らかく緑に囲まれているはずなのに。時折吹く風は都会のものとは思えぬほど爽やかで、涼しくて気持ちがいいのにどこか落ち着かない。
僕はこの街に馴れずにいたのだ。
夢中で走って友達から逃げていた鬼ごっこをした校庭も、
学校帰りに制服のまま馬鹿話を交わしたあのお店も、
母親に手を引かれて初めて行ったお祭りも、
雨の日にカエルを捕まえようとして入った田んぼも、
夏の暑い日も、冬の寒い日も律儀に通った通学路も、
初恋の女の子と遊んだ公園も、
どこか未知のところに続くと思っていた舗装もろくにされていない荒れた細い道は、ここにはなかった。
僕の生きてきた記憶と結びつく場所がないこの街は、当たり前だが全く知らない街だ。
似たような施設や、緑はあっても、住んでいる人も違えば、馴染みの場所もない。
どこに行っても一緒だと思っていたけれど、生きてきた場所と自分との結びつきがない場所とでは全く違う。
自分の故郷に愛着なんてもっているとは言えなかったし、こんな田舎早く出て都会で暮らしたいと思ったこともあるけれど。自分とつながっているまちを、できるだけ大切にしたいと思えた。
まちの活性化を目指す地元の人たちもこんな気持ちなのかもしれない。人生の一部である、自分たちの街がもっと明るくなって、いつまでも残って欲しいという純粋な愛着。
今実家に帰って安心できるのも、もうすぐ終わる。
また帰っておいでと言われても、帰れるかもわからない。
ただ、色んな思い出があるこのまちがあんまり変わってしまわずに、残して行って欲しいと思う
このまちの夕焼けとか、夏になると色が濃くなる緑がまた見たい。
君の名は。が友人に引かれるぐらい好きなのですが、郷愁というタイトルを思いついたと同時に出てきたのがこちらの動画。
俳優さんのイケメンさもあるし、慣れ親しんだ土地を離れて頑張っている方にぜひ観ていただきたい。
なんでもないや/ CRAFT BOSS inspired by 君の名は。『TOKYO』篇 2分52秒 成田凌 サントリー
https://www.youtube.com/watch?v=92nsRwHvvU4
ダメよ〜ダメダメ
みなさんこんにちは!
昨日から夏休みをいただいているふるふるです。
早速ですが
夏休みっていいですね!
花火、海、かき氷、屋台、お祭り、浴衣、レモネード、夏の夕暮れ…
この季節だからこそ体験できないことがいっぱいすぎて楽しみですがもう1日終わってしまったことに悲しみがすごいです。この喪失感。
さて、今回のテーマは「否定」としたいと思います。
せっかく意見を出したのに、良い返事がもらえなかったり、周りのリアクションが微妙だったりしたことってありませんか?
頭をひねり出して考えてきた企画や意見なのに、出した途端に面白くないとか、実現性が乏しいなど、ふざけるなよこっちがどれだけ努力してひねり出したと思ってんだ今まで考えもしなかったあんたが偉そうにしてるんじゃないよ清水の舞台からジャーマンスープレックスかけて竹林に沈めやろうかと思ったりもしたことがあるんじゃないでしょうか(私は一切そんなこと思ったことはありません)。
否定されると、やる気もなくなるし、自分にも自信がなくなりますよね。間違っているのかとか、もっといいものを提案できるようにならないとなって落ち込むこともあります。
ただ、ダメと言われからといってその意見を無かったことにするのはもったいないと思います
(根本的にダメと言われたのならもう一度考える必要がありそうですが)、それは相手に言われた否定の意見も含めてです。
例え話を一つします。
付き合う前の女の子とデートに行くときに服装を念入りに考えて母親に意見を求めて男の子がいたとしましょう。お母さんは今時のファッションなどわからないので、男の子のチェックシャツインスタイルという選ばれた者にしか許されない服装にも「似合ってるよ!」としか言えません。自信満々で行ったデートでは、女の子に10mほど常に距離を取られて最後に苦笑いで楽しかったよってブロックされて1つの儚い恋が終わります。
ここで、ファッション好きのお姉さんに意見を聞いていたらどうだったでしょうか。
きっと男の子は罵倒の嵐を受けることになりますが、自分の服装がデートに適していないということが自覚できたのではないかと思います。タンスの奥から引っ張り出してきた服をコーディネートしてもらい、デートだってうまくいったかもしれません。
企画とか、提案とか学業や仕事でも一緒です。
蝶よ花よと大切に、みんなに受け入れられて過ごすのは気持ちがいいですが、より良いものを作るとき、自己満足で終わりたくないときには周りの方の視点の違う意見に耳を傾けることも必要。自分の感覚だけで終えてしまうといつまでたっても、自分の視点しか持つことができずに狙った成果を得ることが難しくなってしまいます。
否定されることで初めて見えてくるものもあります。
愛と考えがない否定はただ人の努力と時間を無駄にさせるだけですが、建設的な否定は対象を見つめ直させる切欠を生み出すことができるのではないかと思うのです。
自分が気に入らないとか、考えなしになんとなくの否定には耳を傾けずにジャーマンスープレックスを心の中でしかけて平穏を取り戻しましょう。
思いがけず自分のことを否定されたときには、どうしてわかってくれないのか!と憤るだけでなく、なぜダメだったのだろうかまで冷静に考えてみてください。
ダメと言われると、怖いし、怒りたくなる気持ちや不安にもなりますが、そこまで意識を向けてみると次への成功までの道のりが見えてくることも多くあります。
うわーもう聞きたくない!ってことでもぐっと堪えて自分のものにする。
絶対次はいいものにしてやる!って気持ちで色々ほどほどに頑張りましょう。
みなさんの夏をいっぱい楽しんでくださいね。
それでは。
違いを出せる人に
みなさん、こんにちは!
最近体調が悪くなって病院で処方してもらった薬を飲んだらさらに悪化したふるふるです。
副作用怖いですね。副作用が治療効果を上回ったらもはや毒ですから気をつけてください。
さて、今回はお仕事についてお金にまつわるお話です。
私自身はいわゆるサービス業を仕事にしているのですが、最近先輩から言われた仕事をしてお金をもらっている以上は手を抜かないようにしなさいというお話をいただいてそうだよな、わざわざお金を払ってもらうサービスをしているんだから頑張らんと。
と、意識を改めてることになったのですが、お客さんってなんっでお金を払ってくれるんだろう。
自分の仕事だけでなく、生活品や雑費など色々な商品がありますが、結構似たような、まるっきり同じような商品、サービスも多い。その中でなぜ、自分も含めた生活者の私たちは1つのものを選択して購入していくのか気になったので、私なりの考えを書いて見たいと思います。
商品、サービスを購入するときに私たちが考えていること。
例として、靴を出して見たいと思います。
7月も終わりと最早夏真っ盛りなので、夏用の新しい靴を購入された方もいらっしゃると思います。
靴屋さんに行き、お目当てのくるぶし辺りが出ている涼しげなスリッポンとか買って夏を乗り切るぞとなったことでしょう。
ただ、靴にお金を払っているこの行動にも様々な葛藤が購入者の方にはあります。
単純にスリッポンでいいなら値段が安いものを選ぶか、目についたものを購入すればいいはずです。でも、おそらく色合いや、デザイン、どこが販売している靴などを確認して買った人が多いかと思います。買うときの理由としては料金を大前提として大きく分類すると、「機能」「嗜好」「信頼」の3つの分類に分けられます。
「機能」というのは、今回で言えば「涼しくなれる靴」という部分です。通気性、熱に耐えられる素材なのかなど。
「嗜好」は、デザイン、好きな、もしくは服装にあう色合いかどうかなど個人による感覚が占めるもの。
「信頼」とは、商品自体というより販売元の社会性、安全性、品質など世間の評価。
単純な機能だけで私たちはきっとモノを選らんではいません。
自分が求めているものを無意識に判別して、取捨選択しているのでメーカーは商品を作っただけでは売れません。
サービスだったら提供者の対応、コンセプトの徹底、質の高さで社会での存在が許されるか決まってしまう。
「良いものを作れば売れる」という言葉がよく使われていますが、今は良いもの、サービスを提供しているだけでは中々売れない。比較することが当たり前になった時代にどうやって人に気に入ってもらうのかを考えることは必要不可欠です。
仕事ではどこを「違う」と思ってもらうのか。
だからどうした、そんなもん知っとるわぼけと言われればそれまでなのですが、社会人となった今この3つを意識して仕事に活かすようにしていければなと思っています。
会社など組織に属しているのであれば、自分たちの特化している部分はどこなのか、どこが弱いのかを知っていれば強化したり補完していけるようになるのではないのかと。自分の仕事に当てはめると、どういう部分になるのか一度確認して見てください。
お金を払ってもらうほどの、どこにも負けない社会活動を行うにはこの分類だけを意識しても難しいかもしれませんが、大企業と呼ばれているところを見て見ると結構この3つを最低限の水準みたいしているところが多いように感じます。
負けたくない人や、組織がいるのなら自分に当てはめて頑張っていきましょう~